賭け

一昨日くらいからテストに対するやる気がほぼ零になっていて。今日のテストもまるでやる気がせず、授業もほとんど出ておらず何もわからなかったので、仕方なく自分が授業に出た最後の1回の内容だけを覚えていったところそれがそのまま出てて感激して死ぬる。別にテストが出来たので感激したと言うわけではない(安心はする)、賭けに勝ったことが嬉しいのである。
賭け、というのは、あることをなす際に決断・選択するということで、それは裏返せばそれ以外を選択しないということである。テストを例に取れば、ある範囲にヤマをはることが賭けである。全範囲やってしまったらそれは賭けではない。必ず目標が達成されてしまうからだ(全範囲やって目標が達成されないのなら、それはやっていない、ということだ)。そこには決断というものはなく、リスクも生じない。テストの場合はこのように時間を消費することによってリスクを軽減、あるいはゼロにすることが可能であるが、全ての賭けにおいて、このようなことが出来るわけではない。考えてみるに、世の中で遭遇するおおよそのことは賭けだと思う。なぜならあらゆる場面において全てを選択することはほぼ不可能だからである。だからそのような場面では過去のデータや人々の助言あるいは己のカン、セブンセンシズ等に基づいて自ら予測し決断し他を切り捨ててリスクを負う。その後で出来ることは、その自らの決断を信じることくらいである。人は日々の中で常に無数のこのような賭けを通り抜けながら生きている。
この後、今読んでる法哲学講義という教科書の中の「法と道徳」という項目絡めながら話を展開する予定だったのだが、うまくまとまらないし明日はテスト最終日なので帰ってきてから続きを書くことにする。しかしこの教科書はなかなか面白い。