周回遅れ?

浪人とは必ずしも怠惰ではない。それは「休止」がちょうど音楽における休止符のように、それ自体「生きた」意味をもっているのだ。
1度目の大学受験に失敗したときに、僕と同じ大学を受けて落ち、同様に浪人となった知り合いからこんな文面のメールをもらったことがあった。そのときは、ずいぶんと洒落たことを言うもんだなあ、と思い、それゆえずっとこのフレーズは記憶に残っていたのだが、今日、丸山眞男の「日本の思想」の中の「であることとすること」を読んでいて、その中にほとんど同じ文章が登場し、ああ、あれはパロディだったんだなぁ、と分かった。5年越しの春、である。そして分かったと同時に、彼は高校の頃からこういった本を読んでいたのだなあ、と驚いた。僕は今でさえ何とか読みこなす程度だというのに(Ⅲ、Ⅳはともかく)。風の噂によると、その彼は僕とは違い、浪人後には無事第一志望の大学に合格し、そして今年、某外資系銀行への就職が決まったと聞く。僕が浪人・大学時代にぐうたらしていた間にも、きっと彼は様々な本を読みこなし、研鑽を積んでいたのだろう。凄いなあ。しかしまあ、そんなことを言っていても僕のこれまでが変わるわけでもないのだから、僕は今から自分が出来ることをやって、そして映画とかアニメとか本とかをそれなりに受容していこうと思う。要するに、今まで通りでいく、という。それだけのことだ。だから取り立てて書くことでもなかったんだけれども、まあ、こういうことを思った、っていうことを書き留めておくのも悪くないと思ったので、書いておくことにする。