めがね

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「ああ、こんなあくせくした日々をおくるのでなく、南の島へ行ってのんびり暮らしたいなあ」などと、南の島なんて暮らしたこともないどころか行ったこともないのに、そんなことをよく思ってしまうのだが、実際にもし南の島に行ったとしたら、当然のことだけど、そこには人がいて生活があって社会があって文化がある。南の島だからといっても、人間が住んでいる場所である以上、そういうものはついて回るはずなので、必ずしも南の島に行ってものんびりと暮らせるわけではないだろう。
でも、この映画の中には、そんな「実生活からは遠く離れた、空想の中にしか存在しないはずの南の島」がある。在り得ない、と思っていたものが現実に目の前に現れたとき、それに対してどうしたらよいのかわからず戸惑ってしまうことがあるが、この映画を観始めたときに感じた不思議な感覚はきっとそれに近いものだったように思う。タエコも初めはその不可解な環境に戸惑っていたが、夕焼けをみてたそがれたり肉を食べたりビールを飲んだりメルシー体操を踊ったりすることで、徐々にそのわからなさが体の中にじんわりと染みこんでいって、いつの間にかそれが体の一部になった。それは「これこれこうだから、こうなった」というような種類の理解ではなくて、「そういうものだ」という理解。砂浜でハルナが「網目がきれいに揃ってていいよ 面白くないなんて言ってないよ」と言って、それを聞いたタエコが笑ったのも、「そうよ 網目がきれいに揃っててきれいなんだから それでいいじゃない 面白くなくなんてないじゃない」と気づいて、それに気づく前の自分の姿が妙に可笑しくなってきて笑ったのだろう。あのとき、彼女はやっと自分からも解放されて、たそがれることができるようになったのだ。
観終わって立ち上がるときに「あれ、体ってこうやって動かすんだったっけ」というようなことを思った。あのときはまだ心があの南の島から帰ってきていなかったのかもしれない。