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みんなみんないきているんだ

同じ会社の中にいるとはいえ、もちろん人間であるから、皆それぞれに個性というものがあるのは当然なのだけれども、しかし「仕事」というものをするのであれば、ある程度はワク、というか「ここまではみんなの了解事項だから説明する必要はないよね?」という基準みたいなものがあってくれると、ありがたいのになあと思う。けれど、入社した年だって違うしそれぞれ社内で通ってきたみちのりだって違うのだから、そんなワクなんて簡単にはつくれない。それくらいはわかる。だから、同じ事象Aということを何人かに提供する場合に、それぞれ、その人に合わせたかたちでそれを提供する必要が生じる。こういうことがけっこう仕事の大変さに影響している気がする。
自分にとって、自分がわかっていることについては、基本的に付随するものは何もいらない。言葉も、音も、光も。だって、それについてもうわかっているのであれば、あえてそれを言葉や音や光をつかって説明する必要なんてない。でも、自分がわかっていることを、他人に説明しなければならないときは、ちがう。自分がわかっていることを、エヴァンゲリオンみたいにまわりを装甲でしっかりと固めて、社会的な意味を持ったパーツをいたるところに取り付けて、パッケージとして、ひとつのかたまりとして、渡さなければいけない。ここでさらにやっかいなのは、自分以外の他人というのは、僕が渡した、僕自身はかっこいいと思っているエヴァンゲリオンを、僕と同じようにかっこいいと思ってくれるかどうかはわからない、ということだ。かっこいいと思ってくれる人もいるかもしれない。かっこわるいと思う人もいるかもしれない。何の感情もとくに抱かないという人もいるかもしれない。これはもう人によってちがう。ばらばら。だから僕は、僕がかっこいいと思っているエヴァンゲリオンに、プログレッシブナイフを持たせてみたり、ライフルを持たせてみたり、場合によってはポジトロンライフルを持たせてみたりしないといけない。この作業が、けっこう疲れる。
でも、会社から対価をもらっている以上、僕だけがわかればそれでいいはずはないのだから、ある意味、それは当然の疲れなのかもしれない。それにもし、上で述べたようなワクが存在して、定型的な対応で済むことなのだとしたら、いずれ僕はクビになり、その仕事はコンピューターが担当するようになるだろう。おそらくそのほうが、ずっと早い。
ある一定の情報を入力すると、ある一定の解答を出力してくれる。そんな道具になれたとすれば、悩みだとか疲れだとか、そういうものと離れられるんじゃないか、などと何となく思ってきたし、今もそんなふうに考えてしまうことがわりとあるのだけれど、でも、そうじゃないのかもしれない。道具だって、コンピューターだって、すごく色々なことを考えていて、思い悩みながら、やっとのことで解答を出力しているのかもしれない。