消えるよ消える

特にやることもなかったので、本を読んでみたりアニメを観てみたりしながら過ごす。友人から借りっぱなしのおねツイを観たのだけど、なかなか面白い。半分の6話観終わった後ブクオフに行き、2時間ほど漫画を立ち読みする。読んだのはラブひなの大学入学までとバキを4巻まで。帰宅後食事をとりマグナカルタを少し進めてサッカーをテレビで観戦して寝る。
今日午前中に読んだのは精神科医香山リカ氏の著作「『こころの時代』解体新書2」という本なんですが、その中で香山氏は「二十一世紀の鍵を握る精神の病理は、どうやら解離性障害であるようだ。」と述べている。
解離性障害とは、

私が私である、そしてこの私はいつも同じ私である、というあたり前の感覚(精神病理学では「自明性」とも言う。本来、この自明性が崩壊するのは統合失調症の場合に限られるとも考えられてきた)がいとも簡単に失われる。というか、そういった自己の統合性が失われた状態の方が自分の標準となるため、「自明性が失われている」という苦痛の感覚すらない。感情、思考、記憶、身体性などの連続性がなくなり、「昨日の自分と今日の自分」が同じものであるという意識、「私の心と私の身体」がひとつの同じ自己に所属しているという意識が希薄になる。また、自分がこの目の前の現実に所属しているという、従来なら意識の端にも上らなかったようなことにも懐疑が生じ、「現実なんだか夢なんだかわからない」「すべての出来事がヴェールの向こうで起きている感じ」という離人感覚と呼ばれる特異な感覚が、わき起こってくる。

香山リカ「こころの時代」解体新書2より引用

ということ。香山氏によると、現代の社会はボーダーライン化(すべての価値判断が両極端に揺れ動く状態。ゼロかイチか。)した社会からさらに一歩進み、解離メカニズムが爆発的に広がっており、多くの人が「この世界が現実なのだ」という感覚すら失ってしまっているそうである。
これを読んで「ああ、なるほど、僕が最近よく考えてる自己の喪失感や自己の価値判断の喪失感というのはこの辺で説明できるのかもしれない」と思った。
だけどそう思った瞬間に、「でも、説明できるから何なの?」とも思う。残念なことにこの本の中にはそこからどう脱却すればよいのか、ということは載っていなかった。そもそもそういうための本ではないので当然だけど。残念だ。今度別の本を読んで答えを探してみようかと思う。
そんなことを考えながらネット巡回していると中二病なる言葉を見つけた。最近色々なところで言及されている言葉のようで、いくつかのサイトを回ってそれに関する記述を読む。それで「僕、中二病じゃん!」と思う。なんかさらに高二病(w)なる言葉もあり、歴史意識を持ったら高二病になるとか、中二病から芸術とかそっち系に進むと高二病になるとか、まあ様々あるらしい。
何で自分が中二でもないのにいまさら中二病なのか考えてみると、中二(あるいは中学〜高校)期に中二病の症例にあるような行動を全くとってきていないからではないだろうかと思う。中学時代は、学校→部活→ゲーム→寝る、のサイクルを延々と繰り返すだけでゲーム以外特に他の文化にも触れず日々の生活が完結していた。受験期になっても部活が塾に変わっただけで生活のサイクルはほとんど変わらなかった。特にそれで何も問題はなかった。
高校に上がると部活も早々とやめ何もせずに日々を過ごしていたように思う。正直あまり日々の記憶がない。でも男子校だったこともあり、居心地は最高によく、楽しかったなあ、というのはぼんやりと覚えている。高三時にエロゲーにはまり、senceoffやらAIRやら月姫やら色々話題作をやった。あの時はめちゃくちゃ面白いと思ってやっていたけど、今はエロゲーをやる気があまりしない。多分もともとアニメ絵にあまり興味がないのと昔のアニメ等の歴史意識が欠落しているからじゃないかと思う。あの暇な頃にもっと本を読んだりしておくべきだったと今になると感じる。
そんな風に外界との接触がほとんどないような状態で思春期と呼ばれる時期を過ごしてきているから、今になってロックかっこいいとか映画面白いとか思うんだろう。今はどんな映画観てもどんな本読んでも面白いと思える。つまらない大学からの逃避なのかもしれないけど。でもつまらないと思っていたって退学するほどの勇気もない。ダメ過ぎる。
それにしても考えてみれば勉強と言うか色々な知識を知れば知るほど自分の無力さを痛感してやる気がなくなっていくような気がする。中学→高校→大学と自分のまわりの世界はどんどん広がっていくにもかかわらず、それと反比例するかのように自分は内へ内へと閉じこもっていく。大した知識も知恵もないくせにこんなことを言うのはどうかと自分でも思うけれど、色々なことを知らないほうがもっと楽に生きられるのではないかと思う。色々なことを知らなければ限られた範囲内で限られた世界を生きることで済むわけだから。でもネットがこれだけ普及すると、人は今までならまず知ることのなかった世界を知ることが出来てしまう。ウェブ上の意見や価値判断によって形成された実体のない自分がどんどんネット上に広がっていく(あれ、これって攻殻?違うか)。そしてその実体のない自分が実体のあるの自分を隅へ隅へと追いやっていく。そして最終的には実体のある「はず」の自分が消えてしまう。
ボーダーライン化した社会から解離化社会へ移行していくというのもこれで納得できるような気がする。本来なら自分の価値判断基準を定めていく時期であるはずの中学・高校という時期に、ネット上の評価をまるであたかも自分の評価のようにすることによって過ごしてきた人間(僕も含め)は自分の価値判断基準というものを持ち得ない。それはつまり自分というものがないことに他ならず、自分というものが存在しない以上現実感なるものもあるはずがなく、自己の中で統一された思想・考えなどを持たなくてもおかしくなくなる。
というか、そもそも中学・高校という時期に考えなくてもいい土壌がすでに形成されているような気がしてきた。中学時代は何も考えることなくいい高校に進学すればよくて、高校時代は何も考えなくてもいい大学に進学すればいいことになってる。そういう雰囲気がある。進学高とかはなおさらだ。やっぱり大学進学率ほぼ100%なんていう高校が沢山あることはおかしいことなんだと思う。
……と、ここまで書いてみてこれも中二病による影響なのかなあと思ったりする(w 某氏の人生を左右したといっても過言ではない(のかな?)元長柾木氏のブログにも中二病に対する言及があって「中二病なんてマッチポンプだ」とのこと。マッチポンプという言葉を初めて知りました。