ゲームがやりたい。

大したことしてるわけでもないし特別何か嫌な事やっているわけでもないのに、こうなんというか毎日がつまらないと感じてしまうのは何故なんだろう。
高校の頃まではそんなこと考えたこともなかったのに、最近は日々のちょっとした瞬間にそんなことばかり考えてしまう。例えば電車待ちの間とか、駅から大学へ向かって歩いている途中とか、ブックオフで立ち読みをしている最中とか、コンポのCDを入れ替える瞬間とか、そんなときに。
大学が原因なのだろうかと考えてみると、確かに法学部だけど法律に興味のかけらもなく法律の講義なんて嫌なだけだしサークル以外の友人も少ないので全くもって大学なんて面白くなく好きじゃないのだけど、それだけが原因ではないような気がする。だって別に高校のときだってそれほど友人が多いというわけではないし、別に授業だって大して好きじゃなかったから。
それに大学とは全く関係なく、最近は以前なら面白いと思っていたことでさえもあまり面白くなくなってきている。例えばゲーム。昔は本当に1日中ゲームをやっていたいっていう願望が間違いなく自分の中にあったし、事実土日はほとんどゲームで1日を費やしていた。高校くらいになると中学時代の友人たちはみなゲームをやめてしまったけど僕はゲームをやり続けた。他の人間がゲームをやめてしまっても俺は一生ゲームをやっていくんだろう、という確信が自分の中にあった。将来はファミ通で働こう、とかマジで思っていた。好きなゲームを仕事に出来るなんて最高だ!と思っていたからだ。
しかし近頃はゲームをやっていても別にそれほどのめりこんでやっているわけでもなく、本を斜め読みしながら適当にコントローラを操作する程度で、続けてプレイできるのも2〜3時間くらいが限度。いったいどういうことなんだろう。ただ最近のゲームが面白くなくなったということなのか。いやいや真三国無双やグランツーリスモ4なんかは余裕で100万本以上売れてるしドラクエやFFに至っては200万本や300万本も売れているじゃないか。それだけゲームが売れているんだから全部のゲームがつまらなくなってしまったなんてことはないだろう。でも今はそういう光景を見てもそれほど欲しいとは思わなくなった。以前なら欲しくて欲しくてたまらなくて親にねだってまで買ってもらったりしていたのに。あんなに面白いと感動さえもしていたドラクエだって8は購入すらしていない。買えるお金は十分に持っているのに。どうしてなんだ?ただ僕が3Dを受け入れられないからなのか。どんどん映像に特化していくゲームに耐えられないせいなのか。ただ過去を美化しすぎているだけなのか。わからない。
単純に「面白い」という感動を得るために最近は本を読んでみたり映画を観てみたりしている。本や映画にはこれまでの生活の中であまり、というかほとんど全く触れてきていなかったのでそれらは自分にとって新しいメディアであり、実際とても面白いのだけど、やっぱりその面白さというのは僕が昔ゲームに対して抱いていた面白さとはどこか違うように思う。
僕はもっと昔ドラクエやFFをやったときのような面白さを得たいのだ。自分の頭の中に密着していて引き離そうとしても決して離れてはくれないくらい執拗な面白さを味わいたい。2〜3時間やって止められる程度の面白さのゲームじゃ満足できないのだ。そんな暇潰しに過ぎないゲームなら本当にゴマンとある。そんなゲームじゃなくて大学の授業なんてそっちのけでプレイできるようなゲームがやりたい。ゲームと共に成長してきた僕のような人間にとって、そういうゲームを出来ないことは巣を失ってしまった哀れな雛鳥と同じようなものだ。つまり拠り所を失ってしまったら死ぬしかない。最近感じている喪失感とかつまらなさというのはもしかするとこのあたりに原因があるのではないか。
とりあえず今度「ドラクエ」という名前に望みをかけてドラクエ8をやってみようかと考えている。評判は高いけど評判が高いからといって面白いかというとそうでもないので、駄目モトでやってみようと思う。

ああ、あと最近毎日書くようになったのでそろそろこの雑記のタイトルを変えようかと考えてます。そして明日は新歓活動。鬱だ。