ぐちゃぐちゃと教育について思うこと

超珍しいことにトラックバックがきていた。何かな、と思ったら4月13日の教育システムについての話に関してだった。大学の授業は知識の伝達のみに終始してしまっている、という話。
大学の授業が知識の伝達のみで終わってしまっているということは大変由々しき事態だなあと僕も身をもって感じていることなのだけれど、だからといって知識の伝達を否定しているわけではありません。何もないいわゆる「無」の状態から思考なんていうものは生まれるはずもないわけですから。
だからある一定のラインまでの知識の伝達というものは当然に必要であると認める立場に立った上で、ではいったい何が問題なのか、と考えてみると、「大学」という学問探求の場において知識の伝達を行わなければならないという今の現状それ自体に問題があるのではないか、と思われます。例えば高校→大学への知識の流れがどこかで途切れてしまっているあたりに原因があるのではないか。
こういう話をしたときに挙げられる意見として「旧制中学(現在の高校)→旧制高校(現在の大学1、2年の教養課程)→旧制大学(現在の大学3,4年次+大学院)という一連の教育の流れが昔はあって、それぞれ上手く橋渡しが出来ていたが、戦後の教育改革によって旧制高にあたる教養課程の部分が失われてしまった。それゆえに現在、高校→大学の橋渡しが上手くいっていない」というものがある。僕自身、旧制中学が前進となっている高校に行っていたのだけど、ある先生がそんなことを言って憂いていたのを聞いた記憶があります。いや、そんな憂いていたって何にも変わらねえってばよ。とか思っていましたが。
何の本で読んだかは忘れてしまいましたが(阿部勤也の「教養とか何か」だったっけ。いや、なんか違うような。浅羽通明の「大学とは何か」かも)、旧制高校の教師は「教養というものを生徒に伝える」という自らの使命に対して誇りをもっており、もう一方の生徒の側もそれを享受しようという姿勢で授業を受けていたため、素晴らしい知の空間がそこには存在していた、などという話も聞いたことがあります。そういった場所で学問的基礎を築いた上で、さらに上にある大学に進んでいく、という。
なんか素晴らしいシステムのように思われます。教養ハァハァ。
でも、今現在それは完全に失われてしまっていて、高校で国語とか歴史とか数学とかやったあとに、突然専門科目をやらされる。それらの重要性とかはどこかに放り投げてしまって知識だけを詰め込ませる。それで突然そんなことやらされるから、やる気がなくなると。何で俺がこんなこと勉強しなくちゃいけないの?みたいな。
あ、こうやって考えてみると「大学で知識の伝達をする必要があるということ」に問題があるのではなくて、「大学で何が何だかよくわからないままに知識を伝達させられること」に問題があるのかもしれない。よくわからないし目的も明確じゃないからやる気がなくなるんだよ。
専門々々と言って専門ばかりを植えつけようとするのはアメリカの影響なのかもしれないけど、アメリカは学部では色々なことをやらせて専門的なことは大学院でやるらしい。帰国子女の友人がそう言ってました。ああ、そういやアメリカには法学部ないとか言いますよね。法律の勉強は学部時代にも多少したりするんでしょうが、専門的なことはロースクールに入ってからとか。この話を聞くといつも思うんですが、日本のロースクールっていうのは法学部生殺しですよね。だって、法学部卒の人(といっても他学部出身で予備校とか通っている人も多いだろうけど)が2年間ローに通えばよくて、一方法律を勉強したことのない人(といっても結局法律を何にも知らない人は入れないんだとは思いますが)がローに入ろうとしたら3年通えばよい、というシステムなのだとしたら、ロースクール側は法学部で学ぶ4年間というのはローの1年間に過ぎないとみなしている、ということになりませんか。僕にはそう思えて仕方がありません。ああ、法学部とかマジで馬鹿馬鹿しい。時間の無駄。己の先見の明のなさが伺えます。大人しくそのまま理工に行っていれば……
あとアメリカは出口主義という話もよく聞きますが、さきほど登場した帰国子女の彼に聞くとどうやらそうでもない模様。「ただ卒業するだけ」なら、簡単とのこと。でも、もし大学院に進学しようとするならば、学部において超優秀な成績が必要で、その超優秀な成績を取って卒業するのが大変だということらしい。はあ、なるほどねえ。さらに学部に入る際も、いい成績を取るのは当然で(例えばハーバードに行くには成績はオールAでさらに日本のセンター試験のような2つの試験で満点取るのがあたり前らしいですよ。本当かよ。信じられん)、それに加えてさらにディベート大会でいい成績を修めただとかボランティア活動で貢献しただとかいったプラスアルファも要求されるらしい。だから日本で言われているように入るのが簡単、というわけでもない。
でも、授業のレベルとしては日本の高校の方が高い、とそいつは言っていた。例えば今僕の行っている大学に入っている人間だったら、まあアイビーリーグあたりは行けるとか(あくまでも学力だけでみた場合の話)。つまりそんなに高校のレベルが低いわけではないと。やっぱり高校と大学が繋がっていないことに問題があるんだろう。
だからといって今更教養課程を復活させろ!なんて意見は議論の余地もないくらいに建設的ではないので、どうすればいいのかはわからない。大学はますますよくわからん実学志向に突っ走ってる気がするのでもう放っておけばいいと思う。好きにして。
と、まあこうやって自分が勉強しないことに対する言い訳をしたわけですが、システムどうこうというのに対し、まあ問題だよなあとは思うけど、実はもうあまり興味がなかったりします。というのも僕はもうその教育システムを終えようとする段階に突入しているからで、僕がいない場所のことが変わったって僕に何か影響を与えるわけでもないのでどうでもいいのです。僕はイマドキノワカモノなので刹那的なのです。自分が大事。他の人は別にどうでもいいから自分が楽しくやれればいい。そんなスタンス。さて、じゃあどうやったら自分が楽しくやっていくことが出来るんだろうか。そっちの方が断然問題だ。とりあえず東京事変のアルバム「教育」でも聴いてみようか。すっげえ今更感があるしそもそも全く関係ないような気もしますけど。