ゆとり教育とか言ってる場合じゃねえってばよ
水曜日の授業にはここ数回全く行っていなかったのだけど、ある授業で今週から出席取るらしい、という情報を友人から得たので(ありがとう!)その授業だけ出席した。そうしたら久しぶりに1年の頃の知り合いに会って、少し話をした。彼は1年のときに単位を落としまくっており、2年もまあぱっとせず、ほとんど留年が決定しているような状況らしい。でもその状況に悲観しているかというと全然そんなことはなくて、今度1年間留学して、多分その後に留年もするだろうから6年かけて卒業するよ、と笑いながら話してくれた。それで今はサークルの方に専念していて、サークルとは別に個人レッスンにも通っている、とのことである。何とも余裕があるというか何というか。僕はそれを聞いて、ああ凄いなあと感心してしまった。全然焦っていない。自分のやりたいことをしっかりと見据えて長い目で物事を捉えている。それに比べて僕はどうなのか。いつのまにか時があっという間に過ぎ去ってしまっていることに怯えて、自分のやりたいことなど見つけようともせずにただ周りがやっているからとか就職のためという理由だけで「とりあえず」やりたくもないTOEICを勉強してみたりしている。その場しのぎ。そんな言葉が僕にはふさわしいように思う。何で僕はこんなに生き急ごうとしてしまうんだろう。何で焦ってしまうんだろうか。どうして周りの人々に置いていかれることをこんなにも恐れてしまうんだろうか。というかそもそも「周りの人々」って誰なんだよ?そんなのマスコミの作為的な情報をもとに僕が勝手に頭の中で作り出した虚像じゃないのか?受験にしたってそうだ。ただ学校名だけで進学先を決めるとかどう考えてもおかしい話じゃないか。やりたいことがないんだったら別にみなが大学に行く必要なんてないだろう?僕だってやりたいことなんてないんだから初めから大学になんて行く必要なかったんだよ。なあ、そうだろう?
でも、こんなことを言ってみた所でそれは結局理想論にしか過ぎなくて、結局弱い人間である僕は圧倒的なスピードで流れていく「イマ」にすでに飲み込まれていながらもそれに愚痴を言うといういわば負け犬の遠吠え的行為しか出来ない。この現代の状況下で勝者になり得るのはいち早くその流れを見切り、そこにサーフボードでも浮かべてスイスイと波の上を滑走していくことの出来る人間だけだろう。僕自身も高校時代は世の中をそういうドライな目で見れており、そのまま上手く波に乗っていけるはずだったのだが、ここにきてどうしてか転覆してしまった。一度転覆してしまうともう一度波に乗るのはなかなか難しい。さて、気がつけば今まで乗っていたサーフボードもどこかへ流れていってしまった。転覆してしまい海の中でもがいている僕は今、一体何をすればいいんだろうか。何をすることが出来るのだろうか。海の中で溺れて死んでしまわないために。