ラーメン激戦区らしいですよ、あの辺は

土曜日は結局Zガンダム観れませんでした。ぐああ。新宿ジョイシネマ混みすぎなんだよ!なんで3時からの回に12時過ぎからあんなに行列できてるの? ありえなーい。仕方ないので新宿をふらついてラーメン食った後、今度は池袋に行ってみたんですが、そっちは既にラストの回まで締め切られてました。似非ガンヲタの僕らは真のガンヲタの行動力を舐めていたようです。で、仕方ないのでまたラーメン食べて帰還。ラーメンを食べるためのウォークラリーのような1日だった。まあ、ラーメンは美味かったのでよかった。
あ、ラーメンで思い出したんですけど、カップルでラーメン屋に来る人増えてませんか? 土曜に行ったラーメン屋も、夜だったこともあり、客の3分の1くらいはカップルでした。友人は「以前だったらありえない光景だよね」と言ってましたが、僕もそう思います。彼女と出掛けて夕飯がラーメンというのは昔ならありえない光景だったんじゃないでしょうか。田舎で他に全く店がないというのならともかく、都心では。今やラーメン屋はオサレスポットに格上げされたのかもしれません。あるいはラーメン屋がオサレスポットに格上げされたのではなく、変に個人主義に感化された若者が、「デートの時の夕飯っていえばそりゃちょっと高めのフレンチだなんだをビルの高層階にあるレストランで食べたり、やたらお洒落なパスタの店だとかに行くのがセオリーなんだろうけどそれじゃあ周りのみんなと同じになってしまうから嫌だ。周りのやつらとちょっと違うところを彼女に見せるためにはどうしたらいいんだろう? そうか!ラーメンだ!最近格好つけたラーメン屋がなんか流行っているしそういったラーメン屋を好む『格好つけない俺』みたいなのをアピールするのもありなんじゃねー?っつーかむしろそっちの方が格好いいじゃん。格好つけていないのに格好いい、みたいな。庶民派ってやつ?よし、それだ!」とか思ってラーメン屋に群がっているのかもしれません。……そんなわけないか。妄想ですね。
でも「格好つけない」というスタイルは徐々に世間において確立されてきているような気はします。何となく。これは元々あまり格好よくない僕みたいな人間にとっては実に恐ろしいことです。何故かといえば、従来のシステムなら「元はあまり格好よくないけど格好つけている人間」と「元は格好いいけどあまり格好つけていない人間」というのは同じラインに立つことも可能だったわけですが、みんなが格好つけなくなってしまい「格好つけない」のが格好いいというようになってしまったとしたら、「元もあまり格好よくないし格好もよくない人間」と「元の見た目は格好いいけど格好つけていない人間」という2種類に分類されてしまい、前者はどうすることも出来なくなってしまうわけです。おお怖い! この「格好をつけないことが格好いい」というシステムは元々格好よくない人間を今以上に世間から排斥しようとするシステムに違いない。この格好よくない人間を排斥するという悪しきシステムを破壊するためにも僕は服や何かにお金をかけまくって今こそ格好つけなければっ!
……といっても服にそんなに金をかけるなら、その金でゲームや本を買ってしまうんですよね。嗚呼。これがヲタクの性か。先の人間の分類にもう1つ項目を加えなければ駄目そうです。「っつーかそれ以前に元々論外」みたいな。うわあ、枠にすら入ってねえー。
日曜。野球観戦。徹夜で並んでいる最中に、目の前で酔っ払って寝ている知らないやつがいきなり失禁してアスファルト上に新しい大河が生まれたり、肌の青いキモいドラえもんの集団が「見られるのにも慣れてきたよ、っつーかむしろ快感?」とか言いながら通り過ぎていったり、アルミ缶の入ったゴミ袋を後ろ足で蹴っ飛ばしたら缶が道に散乱して超テンぱっている応援団員がいたりして、その度に爆笑してました。ほとんど寝ていないのでテンションが無駄に高い。今だったらあまり面白くないように思います(失禁とかむしろ可哀相すぎる。その彼はそれでも寝ていたけど)。テンションってめちゃくちゃ大事だ。野球自体は興味ないのでどうでもいいんですが、昨日の試合はそれなりに面白かった。ただ、やっぱり大声で校歌や応援歌を歌うのは性に合わないようです。あれを歌うたびに自分を削り取られていくような気がする。来年はサークルも引退してるし、もう野球観戦に行かなくてもいいので嬉しいです。でも、なんかその後の飲み会のノリで明日も行くことになりました。ノリは大事なんだ。本当に。大学の応援のためじゃなくて、そのノリのために行ってくることにします。