FUCKとか書いてあるTシャツって普通にやばいよね
大学図書館から大きい通りに出る道を歩いていたときに、カレッジTシャツを来た外国人の方が目の前にいた。カレッジTシャツといっても外国の大学のそれではなく、この大学の独自のカラーに白文字で大きく大学名がプリントされている。だ、ダサすぎる……。でも、僕がUCLAだのmichiganだのそういったロゴがプリントされているTシャツを着たとしたら外国の方は同じようにダサいとか思うんだろうな。……あまりカレッジTシャツは着ないようにしよう。まあ、この大学のあの色がダサすぎるという面も相当あると思うけど。何でもあの色で作ればいいってもんでもないだろう。例えばあのビニール地で折りたたんで使うバッグとかさあ。ダメすぎ。しかしあのバッグ明らかに不便だと思うんだけど何でみんなあんなに使っているんだろう。カッコイイか、あれ? ものも全然入らないしさ。うーん。
昨日は昼間に以前読んだ本の感想を書いたのですが、今朝(7日)たまたま放送大学の番組を見ていたところその本の内容と同じようなこと言っていて、あれ?と思って調べてみたらやっぱりその本の著者の方が講師でした。こういうことって結構あるような気がします。偶然だけど偶然じゃないように感じる、というか。この間野球を見に行ったときも、その日はひたすら自分と同じ苗字の人間と出会う機会が多かった。コンビニ、カラオケ、松屋、いずれの店の店員も同じ苗字。これは今日なんかあるんじゃないか自分?とか思ってガクガクブルブルしていたのですが、特に何もありませんでした。
何でこういうことがあるんだろうなあ、と考えてみると、多分その物事に意識的になっているか意識的になっていないかの違いなんじゃないかと思います。僕がその物事を知る前にだって当然のようにその物事っていうのはこの世の中に存在しているし、おそらくそれを知る前と同じ頻度で僕の前に姿を現しているはずだけれどもそれに意識的でない僕にはそれを認識することができない。それは認識外の出来事として眼前を通り過ぎていく。でも一度その物事を認識すると、それと全く同じ、あるいはそれに近い情報を聞いたときに、ん?と反応することができる。何かについて知るということは湖の中に釣り糸を垂らすことに似ているかもしれません。沢山垂らせば垂らすほど何かがHITする可能性が上がるという点において。もちろん場所が悪ければいくら釣り糸を垂らしたところで何も釣れない。自分でいい場所を探してきてそこで釣りをする必要があります。僕自身を振り返ってみると、場所を考えずに結構闇雲に釣竿を出しているような気がする。闇雲に釣竿を出していたとしても当然HIT数は上がりますが、個々の釣り場所が離れているせいでそれらを全部釣り上げることが出来ていない。で、結果としてほとんど獲物を取り逃がしてしまっている。そんな感じでしょうか。様々な角度から物事を見ろ、とかよく言われますけど、そんなことは自分の考えというものを十分に持っている人間が行うことで初めて意味を成すものであって、あまり自分の考えというものを持たない僕のような優柔不断人間は、まずは自分の釣りのスタイルを確立する必要があるんじゃないかと思います。早くそのスタイルを確立して、そこであぐらを組んであくびしながらつりを楽しみたいものです。
しかしそれにしても放送大学のプログラムは面白そうだな。番組表を見ているだけでもとても興味をそそられるものが多い。とりあえず番組表をお気に入りに登録しておいて、面白そうな番組があったら今度からチェックするようにしよう。