つげ義春の漫画

ロマサガをやりながら途中で読んでいた漫画がこれ。まとめて3冊購入。一言で言うと、考えさせられる漫画だった、という感じなのであるが、何かを読んで何も考えないなんてことは全くないわけで、「これ駄目だなあ」とか「あー面白かった」だとか少なくともその程度のことは考えているのであり、考えさせられる漫画だった、という感想はあらゆる本を読んだときにおける普遍的な事実を述べているだけであって、結局この本という具体的なものについての感想は何も述べていないということになると思われる。じゃあ僕はいったい何を考えたのだろうか、とあらためて考え直してみると、孤独、とか恐怖とかそういうものについて考えていたのではないだろうかと思う。このつげ義春の漫画にある孤独感とか恐怖感というのは何かに似ているなあ、と思っていたのだけれど、家に帰ってきてネットに繋いでやっと分かった。「ひぐらしのなく頃に」のそれに似ているような気がするのである。この3冊の漫画には世間から厄介者扱いされていたり家族からも厄介者扱いされていたりする人間が沢山登場するが、彼らは「世間なんて!」と思って憤慨しているけれども結局「世間」というものに飲み込まれていく。そして「世間」から否定されて自分の孤独を貫くことが出来ず死んでしまったりする。そういう「世間」の怖さっていうのがひぐらしと似ているように感じた。また、場面によって違和感を感じる部分があったような気がする。例えば、田舎町でひき逃げがあって、それを夫婦2人で見に行くという場面があるのだけど、ひき逃げ現場の野次馬の中に笑っている顔をした人間がいるのである。本来なら不謹慎だ!とかそういう風にいわれそうな場面だと思うのだけど、そのまま溶け込んでいる。不思議な光景に僕には感じられた。同じような場面はおばけ煙突の話の中にも出てきたように思う。あの笑い顔はいったい何なんだろう?気になる。あとは、やたらエロティックな漫画だなあ、という印象を受けた。そのエロティックさというのはただ胸がはだけていてエロいとか、からみのシーンが描かれていてエロいとかそういうことじゃなくて、ささいな場面で普通ならそんなところにはエロさを感じないだろう、という場面がエロティックだったりする、ということである。僕が一番エロティックだと感じた場面は、どの話だか忘れてしまったけど、夫婦2人で部屋にいて、妻のほうがジーンズをはいて横になっているのだけど、その太ももの描写に非常にエロティシズムを感じた。横になることで太ももが横に広がるというかペタンとつぶれた感じになってそれによってジーンズが突っ張っている感じがとても上手く表現されていて実にエロい。ただ僕がフェチなだけなんだろうか。それはわからない。

無能の人・日の戯れ (新潮文庫)

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蟻地獄・枯野の宿 (新潮文庫)

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義男の青春・別離 (新潮文庫)

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