湿度が高すぎて死ねる。

朝から夕方までバイト。とにかく眠い一日だった。ずっと欠伸をしながらマウスを動かし続けた。猫背なので長時間モニターの前に座りっぱなしだと体の節々が痛くなってくる。背中が痛くなってくるのは言うまでもなく、なんか胸の真ん中あたりの骨が疼く感じもする。そういうときに大きくのびをするとバキバキという音が体中から鳴る。あと首も鳴る。ボキボキ。明らかに体にはよくない音だと思われる。まったく、本当に姿勢が悪すぎだ。猫背はかっこ悪いので直そう直そうと意識して背筋を伸ばしたりしているのだけど、ちっとも直る気配がない。いっそのこと、背中に竹刀でも入れて生活したほうがいいんだろうか。
バイトへの行き帰りの電車の中で、嶽本野ばら下妻物語 ヤンキーちゃんとロリータちゃん」と東野圭吾「むかし僕が死んだ家」の2冊を読了。どちらもとても面白かった。

下妻物語―ヤンキーちゃんとロリータちゃん (小学館文庫)

下妻物語―ヤンキーちゃんとロリータちゃん (小学館文庫)

下妻物語はほとんど映画そのままだった。あ、映画が小説そのままだった、と言った方が正しいか。映画版「下妻物語」の中に、桃子がイチゴを助けるために牛久大仏に向かう際、BABY, THE STARS SHINE BRIGHTの磯部様に約束を断る旨の連絡を入れるシーンがあって、僕はそのシーンを結構というかかなり気に入っていたのだけど、原作の中にはなかった。あのシーンは映画オリジナルだったのか。やるなあ。

「弱いよ、とても。だから強い振りをしているの。自分の中で自分の弱さを赦してしまったら、なし崩しになっちゃうもん。自分を甘やかしちゃいけないと思う。弱いからこそ、自分だけは自分に厳しく接しなければならないと思っているだけ」
嶽本野ばら下妻物語 ヤンキーちゃんとロリータちゃん」より引用)

桃子のこの台詞とか、凄いよなあ、と思う。あとイチゴがケジメをつけなくちゃならない場面で語る台詞も凄い。2人とも強い。とても強い。僕ももっと強い人間になりたい。そうすれば毎日がもっと楽しくなるに違いない。

むかし僕が死んだ家 (講談社文庫)

むかし僕が死んだ家 (講談社文庫)

行きの電車で下妻物語を読み終えてしまったので、帰りにふらっと寄った古本屋で何の気なしに買った本。東野圭吾の本は初読。舞台は長野の山奥の小さな家が舞台で、ちょうど6月に僕が合宿で行ったあたりだったので、記憶の中の映像を思い出しながら読んだ。推理小説としても面白かったけど、それよりも登場人物の(といっても2人しかいないけど)の、特に主人公の昔の彼女の人生が面白いなあと思った。他人を信じることが出来なかった少女は、やがて自分自身のことも信じることが出来なくなり、自分に似すぎている主人公の元を離れていく。でも、信じることの出来なくなった自分自身の「存在」すらも、ある事実が明らかになったことによって否定されてしまい、あらゆる意味でゼロになったときに、彼女はようやく初めて自分というものを獲得した。先日、どこで観たのかは忘れてしまったけど、ある宇宙飛行士が船外活動のときに5分間だけ自由になって、宇宙空間の中であらゆることから解放された瞬間、今まで見てきた世界が一変した、などと言っているビデオを観た。彼女もきっとこの宇宙飛行士と同じなのではないだろうか。ゼロになって世界が変わった。世界の変化っていうのはつまり自分自身の変化で、新しく生まれ変わるといっても過言ではないのかもしれない。いったいそれはどのくらい凄い変化なのだろう。ゼロになることの出来ない僕は、ただただその変化を想像することしかできない。