なんなんだこの余裕。ってか諦め?やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい。

朝、自転車で大学に行って近くにある店に持っていって振れとりとテンション調整をしてもらおうと思い、サドルにまたがって自転車を漕ぎ始めるとすぐにシューーーと勢いよく空気の抜けていく音が。うわ初っ端からパンクかよ最悪、と思いながらすぐに歩道に入ってタイヤを外してチューブを取り出して空気の抜けた穴をチェックすると、なんか普通ならあまりないような場所に亀裂が入っている。なんだこれ?と思いながらタイヤ見たらなんとバーストしていた。何でだようわぁ嘘だろちょっと待ってよそりゃーねえってば本当にはぁ?やってられない。ちょっとしたバーストならそこに型紙あててその上からビニールテープで固定してしまってそのまま乗っていってしまうのだけど、結構大きく裂けているのでどうしようもない。何でこんなのに気づかなかったんだろう。我ながら不注意で馬鹿すぎる。仕方がないので電車で大学へ行く。補講が終わった後部室へ行って話をしていたところ、その自転車の店が今日は休みだったということが発覚。……これって運がいいと言えるんだろうか。うーむ。
逃避。銀と金を5巻まで読む。っていうか部室に5巻までしかなかったから5巻までしか読めなかった。うおーいめちゃくちゃ続きが読みたいYOMITAI!!あの麻雀の続きが気になって夜も眠れないかもしれない。銀と金は本当に面白い。カイジとかよりも面白いと思う。テスト終わったらどっかで読もう。
最近サークル内にダブルスクールブームが起きている。特に2年生に。みな公務員を目指すのだという。まあ公務員を目指すこと自体は別に僕にはどうでもいいのだが、それを語るときの彼らの可能性に満ちた輝きが僕にはどうにも眩しすぎる。まるでニフラムを浴びせられた腐った死体のようである。くさったしたいAはひかりのなかにきえさった!ぎゃあああ!!消え去っていく腐った死体はニフラムの光の中にいったい何を見るのだろう。そしてどこへ行くのだろう。そんなの知らない。わからない。いろんなことがわからない。僕は何も知らなさ過ぎる。しかし若いときの可能性というのは本当に眩しすぎるくらい希望に満ち溢れたものであるが、それは分単位いや秒単位で失われてしまっていくようなそんな気がする。そして優柔不断な人間は若さという可能性を無駄に消費していく。何もやらずに消費していく。「何かをやったって何もやらなくったって時間というものはただただひたすらに過ぎていくんだからそれだったら動いたほうがいい」という意見を2年生の後輩が言っていて、その意見は確かにそうかもなあと僕に思わせるだけの説得力を持ってはいるのだが、逆に言えばそう思わせるだけの説得力しか持ってはいない。でもそれが正しいということはわかるんだ。社会的にはそれが絶対正しいということはわかるんだ。だからそれをしなくちゃいけないと思うんだ。本当に。だから僕だって無駄にTOEICを受けてみたりシスアドや基本情報なんかを受けてみたりしているんだ。ああもう何なんだろう。何なんだろう何なんだろう。終わってる終わってる終わってる。今のこのご時世、小学生のほうが僕よりよっぽど建設的な意見を述べることだろう。そうやってさっさと世の中に見切りをつけなきゃ駄目なんだよ。期待とかしてんじゃねえよ。世の中への期待を捨ててそれで自分を変えるんだよ。それしかねえんだよ。いい加減わかれよ。理解しろよ。そんなことを思いながらナンバーガールOMOIDE IN MY HEADを聞いて泣きそうになる。ああああ、もう。
テストは明後日からなんですけど、マジでなにもやってません。もう何をしたらよいのかわかりません。ただ僕はテストを放棄するほどの勇気はないんで、明日は一応勉強すると思います。