色々わからん。
成績発表があった。刑訴が取れていなければ後期の民訴に気合を入れなければならなくなるので刑訴だけは単位来てくれ、と切に願っていたが、何とか刑訴の単位を取得することに成功した。嬉しい。これで後期は楽になる。ただ、普通に優だろうと思っていた単位が何故か可だった。単位は取れているので別に構わないのだけど、やはり大学の授業評価というのはブラックボックスに包まれているなあ、と感じた。しかし何はともあれ、とりあえず3年の前期が終わった現時点で来年度の卒業見込みが出ることは確定したので、普通にやってれば4年で卒業は出来そうだ。安心した。こんなところからはさっさとオサラバしてしまいたい。
高校時代の友人と酒を飲む。自分は一浪しているし周りの理系の友達も大抵一浪していたのですっかり忘れていたが、現役で大学に進学した同学年のやつらは既に就職活動も終えた4年生なのだった。そういう人はすっかり暇なのかと思って尋ねてみたけれど、そうでもないようだった。どうやら僕の方がずっと暇なようだ。学部や大学の違いだろうか。それとも単に個人としての差か。就職活動についても話を聞いてみたが、普通にやってりゃ普通に決まるよ、とのことである。そりゃそうだ。成績やTOEICはどうなの?実際影響ある?と別の友人が聞いていたが、全く関係ないとは言えないけど、でも、それ「だけ」で採用決める会社なんてあるわけないじゃん。それにもしそれ「だけ」で決めている会社があったとしたって、そんな会社入りたくないでしょ?と答えていた。至極真っ当な回答である。普通に考えれば当たり前の話だ。しかし就職!就職!と視野が非常に狭くなってしまうと、そのような当たり前のことも分からなくなってしまうのかもしれない。僕はまだそのような切迫した状況に追い詰められたことはないので分からないけれど。これから数ヵ月後には僕も就職!就職!という感じになってしまうのだろうか。無駄に頑張らなければいけないのだろうか。そして頑張ってしまうのだろうか。先のことはよくわからない。
「大学時代に自分は『これ』をやった、と自信を持って言い切れるような何かを見つける必要がある」とか何とかよく言うが、そんなものは大抵の場合ないのではないか。というか、大学のたかだか4年程度で「これをやった」と言い切れる程度のものなんて大したものではないだろう、と個人的には思う。「いや、それはお前が何もしていないゆえの言い訳であろう」と言われるかもしれないが、まあ言い訳なら言い訳で別にいいし、特にその意見に対しても異論はない。ただの言い訳なのかもしれない。でも、実際にそう思ってしまうのだから仕方がない。僕だって人並みにサークルに入って自転車を漕ぎ、人並みに単位を取得し、人並みに色々とバイトもしたと個人的には思うけれど、「私は大学時代『これ』をやりました」なんて他人に対して言い切れるものはない。では、それらは全て無為な時間だったのだろうか。よくわからない。
楽しいとかつまらないとか、そういうことを感じるのが少なくなったと思う。いや、もちろん日々の生活の中で面白いとか楽しいとか辛いとかつまらないとかそういうことは色々と感じてはいるけれども、それらは「どうでもいい」という範疇の中をウロウロしているだけのような気がする。「どうでもよくない」レベルでそういうことを感じるのが少なくなった。大学に入って、それまで自分の中で「どうでもよくない」と考えられていた色々なものが「どうでもいい」というカテゴリの中へ移っていったように感じる。「どうでもいい」とか「どうでもよくない」というのが、「何」がどうでもよくて「何」がどうでもよくないのかはよくわからないが、それでも大抵のことはやはり「どうでもいい」と感じるようになった。これは大学に入ってから、あるいは浪人してからの傾向だと思う。どうしてこのように感じるようになったのだろうか。自分への失望に基づく無力感によるものだろうか。……よく、わからない。
ここ数年の自分自身を振り返って何となく漠然と言えることは、「わからないこと」がとても増えた、ということかもしれない。色々なことに対して確信を持つことが出来なくなったように思う。何で「わからないこと」が増えたのか。そして、何で色々なことが「どうでもよく」なったのか。このあたりの問題が、「僕が『楽しく』生きていくためにはどうすればよいのか」という命題を解決するのに関係があるような気がする。
と、そんなようなことを酒を飲みながらぼんやりと思った。