支配力

10時過ぎに家を出て大学の図書館へ行き、来月に迫った資格試験の勉強を3〜4時間ほどした後ちょっと遅い昼飯をとり、どこかに立ち寄ってから帰る。ここ3日間はずっとそれを繰り返した。夏休み中の図書館は人が少なくてとてもいい。毎日あれくらいしか人がいないのだったら僕もあの大学が好きになれるかもしれない。
2ヶ月にも及ぶ長い休みがあると、今日が何曜日だったか、とか、今日が何月何日だったか、といったことがわからなくなってくる。一週間前に食べた夕飯のメニューを覚えている人が少ないように、どうでもいいことはすぐに忘れてしまうので、おそらく曜日とか月日の感覚というのも割とどうでもいいものなのだろう。でも、普段の生活においては、そのどうでもいいはずの曜日とか月日というものを基準にして生活しているわけだから、やっぱり曜日とか月日とかはどうでもよくないもので、それってなんか面白いなあとか思う。ミヒャエル・エンデのモモという作品は、まあ小学校中学校の課題図書にもなるような本だから多くの人が一度は読んだことがあるだろうと思うのだけど、「いつのまにか人は時間に支配されている」というような話で、初めて読んだときは僕も「そうか、人は気づかぬうちに時間に支配されていたのか…」といままでに考えたことのないような物事の捉え方に出会って驚き、確かにそうかもしれないなあ、とそれに同意したような記憶がある。だけどこうやって今みたいに曜日や月日の感覚というものが、それらからちょっと遠ざかるだけで自分の中から簡単になくなっていくということは、曜日はちょっと微妙かもしれないけど少なくとも月日というのは時間の単位だから、別に人間は時間に支配されている、という感じでもないわけで、そうなるともし仮に時間が人間を支配していたとしてもその支配力はそれほど大したものではないし、特にそれについて心配する必要もないだろうと思う。個人的には、時間に支配されているなんてこと以上に深夜アニメに支配されていることのほうがずっと心配だ。灼眼のシャナとかアカギとかGPOとかBLOOD+(これは深夜じゃないけど)とかローゼンメイデンの新作とか今回は見たいものが結構多い。
ああ、僕は。僕は支配されているのか?

そして曜日の感覚がないだとか月日の感覚がないだとか言っていても明日からついに、とうとう学校が始まってしまうという。もうね。あれだね。何というか、その、ね。うん。どう、しよう。どうしようか。はあ……。