人と暗闇

サークルのイベントが無事終了。今回は近場を走るということで、秦野スタート高尾ゴールという総距離100キロほどの適度なコース。ただ日頃ほとんど運動していない身にはとても辛く、自転車を輪行して家に帰るときには体中が痛くて死にそうだった。
今回のランで一番面白かった場所は犬越路トンネル。ここは1キロくらいのそれなりに長いトンネルで、電気は全くついていないため、トンネルの中は漆黒の暗闇で満ちている。このトンネルのある道は登っていく途中でゲートによって封鎖されていて、車は通れないようになっているので、普段このトンネルに来る人などいるはずもないから電気などつける必要はないというわけである。これくらい長くてしかも電気のついていないトンネルというのは結構怖い。「怖い」とは、幽霊とかお化けとか、いかにもそういうものが出てきそうだ、という意味での「怖い」である。しかも僕たちが行った日は霧が出ており(標高もそれなりに高いので霧も出やすい。ちなみに標高は約900m)、さらに「それっぽい」ムードに包まれている。1人だったら引き返したくなるような怖さである。ヘッドランプとテールライトをつけてトンネルを進む。しかしヘッドランプの光は微弱で、トンネルの暗闇にすぐに吸い込まれてしまう。そうして僕は昼間なのに暗闇に包まれる。
夜に車を運転しているとスピード感覚がなくなって自然とスピードが出てしまっているから気をつけたほうがいい、というのはよく聞く話だと思うけど、真っ暗なトンネルを自転車で走っているときもそれと同じような感覚になる。というよりも、スピード感覚は完全に失われて、自分が止まってしまっているような錯覚に陥る。進んでいるはずなのに進んでいない。進んでも進んでも入り口が遠ざかっていくようだ。そんなことを思ってしまうと徐々にハンドルがぶれ始め、恐怖が襲ってくる。「……2度とこのトンネルから出ることは出来ないんじゃないだろうか?」そんな馬鹿げた考えが、頭の片隅を過ぎっていく。自分はこのトンネルにいる幽霊なりに縛り付けられてしまい一生いや死んでもこのトンネルから出ることは出来ない……とか何とか。でも実際には出口のないトンネルなどないから、いつかは外に出ることが出来る。そして外に出ると、それまでの恐怖が一瞬にして霧散して、「ああ、もとの世界に帰ってきた」と強く感じるのである。
暗闇というものは何とも不思議な空間だなあと、こういうトンネルに行くといつも思う。割と面白いのでこういう真っ暗なトンネルには一度は行ってみてもいいのではないでしょうか。今回行った犬越路トンネルなんかは都心からもそれなりに近いので行きやすいです。ただ、車やバイクで行くとライトが強すぎて全然面白くないので、徒歩か自転車で行くことをオススメします。まあ僕は徒歩では行きたくないですけど。怖いんで。

以下は3年くらい前に書いた暗闇の小説。設定とかも何も考えずに書いているし、内容も鬱々としていて何とも言えませんが、まあ暇な方は読んでみてください。しかしあらためて読んでみると実にイタイ。

どうやらさっきまで降っていた雨はもう止んだようだった。灰色の雨雲の隙間からは、微かに太陽が顔を覗かせていて、その隙間から放たれる光が図書室の机をぼんやりとオレンジ色に照らしている。もう5時位だろうか、と思って時計を見ると、まだ4時半過ぎだった。だけど、冬の夕暮れは一瞬であり、あっという間に暗くなってしまう。だからあたしはもう勉強を止めて家に帰ることにした。持っていたシャーペンを筆箱にしまい、机の上に広げられていた数学の参考書もノートも閉じて、筆箱と一緒に鞄にしまう。そしてバーバリーのマフラーを首に巻き、グレーのダッフルコートを羽織ると、あたしは閑散とした図書室を後にした。
廊下にはもう誰もいなかった。廊下は見渡す限り空っぽで、教室の電気もほとんど点いていなかった。こんな雨の日は、きっとみんな早く帰ってしまったのだろう。誰もいない学校はありえないくらいに静かで、穏やかだった。本当に、昼間の喧騒が嘘のようだ。あたしは二年生の教室の前を通り過ぎて、その先の角にある階段をゆっくりと下りる。コツコツコツ、という階段を降りる自分の足音が、静かなこの学校全体によく響いた。一階に着くと、下駄箱の方へと向かう。一階にある教室は特別教室が多く、大抵の場合黒いカーテンが閉められているのだけれど、それは今日も例外ではなく、暗幕によって日光の遮られた一階の廊下はどこか不気味な薄暗さを有している。そして、廊下の突き当たりだけが明るくなっているのが見えた。下駄箱は丁度その明るい所にあった。あたしはその光の差す方へと歩いていく。あたしの周りを取り巻いている薄暗い空気はどことなく重く、よどんでいるように感じる。もし一度あたしが歩みを止めてしまったら、あたしはこの薄暗い闇のどこかに吸いこまれてしまい、もう二度とこの場所には戻ってこれないのではないだろうか、などという空想をあたしに抱かせるような、そんな空気だ。あたしは何度も何度も心の中に浮かび上がってくるそういった空想を飲みこんで、少しだけ早足になりながら下駄箱へと向かった。
でも、しばらく歩いたところで、何かがおかしいことに徐々に気付き始めた。この廊下はおそらく50メートル位の長さであるように思っていたのだが、いつまで経ってもあの光の差す所へ近づかないのである。いや、むしろ遠ざかっているような気さえした。一体、どういうことなのだろうか。あたしはさらに早足になって光の差す方を目指して歩いた。だが、その歩みはあたしの体を全く前に進めてはくれなかった。あたしが歩く足音だけが、あたしに先行してどんどんと前進していって、やがてほの暗い闇の中へ消えていった。
こんなことがあるのだろうか。あたしは唇をほんの少しだけ噛みながら、それでもスピードを緩めないで歩いた。歩きながら周囲を見渡してみると、決して進んでいないという訳では無いようだった。あたしはいくつもの教室を通り過ぎた。教室のある逆側の壁には緑色の掲示板があって、そこにはいつも見慣れた交通標語の書かれたポスターが貼ってあり、他にも幾つかの掲示物が貼られていた。それらもあたしの歩みとは逆の方向に流れるようにしてあたしの視界から消えていった。それでも、やはり一向に光の所へ近づいている気配はなかった。何だか次から次へと新しい教室が向こうの方から生成しているかのようだった。そして、さっきよりも幾分廊下の暗闇の濃度が高くなっているように感じられた。
さらに10分ほど経った後も、あたしはまだその廊下を歩いていた。もう実際に幻なんかではなく、光ははるか遠方へと遠ざかってしまっていて、もはや白い点にしか見えなかった。そして周囲の暗闇は、すっかりあたしの体を包み込んでしまっていて、あたしは肉眼で自分の体を確認することが出来なかった。右手を目の前に持ってきてそれを確認しようとしても全く分からないのだけれど、遠くに見える白い光の点が目の前で手を動かす事で点滅しているように見えるので、確かにそこに手がある、ということだけは分かった。幾重にも折り重なった暗闇の中で、あたしの頭は完全に混乱していた。この信じられないような状況下において、何をしたら良いのか全く見当もつかなかった。あたしはこれからどうなってしまうのだろう。訳の分からない恐怖だけが、あたしを覆っていた。どうして、こんなことになってしまったのだろうか。
それでもあたしの足は歩みを止める事はなかった。むしろ何かしらの力で歩かされている、と言った方が正しいかもしれない。というよりもさらにそれ以前に、自分の足というものがまだ存在しているのだろうか?と、そんな考えが頭をよぎった。何も見えないこの世界の中では、肉体というものはもはや存在していないように思えた。感覚だけが、あたしがここにいるということを認めていた。手を動かそうとすれば、電気信号が体を伝わって、手が動いた、と知覚出来た。でも、それだけだった。そしてそんなことはこの世界の中においては全く無意味な事だった。それでも感覚の世界の中を必死で前へと歩いた。あたしは、「元の世界」に帰らないといけない。
……もうどれくらいの時間が経ったのだろうか。あたしはまだ暗闇の中にいた。もう光の点すらも見えなかった。どっちが前なのか、どっちが後ろなのかも分からなかった。あたしは歩くのを止めた。歩いていると考えるのを止めた、と言った方が適当だろうか。そして、その場に――もはやそれが何処なのかは分からないが――しゃがみこんだ。そして背後にあった壁のようなものによりかかった。そして大きく息を吐いた。意味も無いのに、両目をごしごしとこすった。もちろんそんなことをしたって何も見えるようにはならなかった。
歩くのを止めたせいなのだろうか、暗闇は徐々にあたしの体を侵食し始めていた。まず、手足の感覚が消えた。もう手の指を動かそうとしても何も感じられなかった。足を伸ばそうとしても足の感覚はそこにはなかった。でも、何故か不思議とあたしは自然にそれを受け入れていた。まるでそれが当然であるかのようにあたしには思えていた。もうさっきまでの恐怖に似た感情は全くなかった。
次に、腰から下の部分と、肩から下の腕の部分の感覚が消えた。
そして、頭を除く上半身の感覚が消えた。
あたしは頭だけを残した存在となった。自分の頭だけが暗闇の中にぽっかりと浮かんでいる状況を想像してみると、どこか滑稽で、思わず笑いだしそうになった。その間にも、顔から口の感覚や鼻の感覚が消えていった。そして、目、耳、髪の毛の感覚が消えてしまい、最後には脳だけが残った。
あたしはまだかろうじて思考することが可能だった。あたしは自分が消えていくことに、不思議と何の感慨も無かったけれど、何か最後に思い出す事はないだろうか、と考えてみた。でも、何もなかった。あるのはただどんな人間でも経験するであろうつまらない16年間の月日だけだった。くだらない16年間を過ごしてきたその脳は、最後までつまらないことだけを考えて、その役目を終えようとしていた。
だが、脳の半分が消えてしまって、もうあたしが思考ということが出来なくなったあと、その消え行く脳は、あたしに一つの映像を見せた。
その真っ暗な空間の中には、テーブルと一組の椅子が並べられていた。そしてその椅子の一つには男が一人座っていた。男は無表情でテーブルに頬杖をついていた。目線はどこを見ているのか――近くを見ているのか、遠くを見ているのか――全く見当もつかなかった。そして、その男はあたしが親しかった誰かに似ていた。でも、どうしてもそれが誰なのかを思い出す事は出来なかった。しばらくすると男は椅子から立ちあがって、ゆっくりとあたしの方をふりかえった。そしてあたしの方を見た。でも、その目はあたしを通り越して遥か遠くを見ているようだった。目には何も映ってはいなかった。
やがて、男の体は徐々に足元から消え始めた。酸が物質を侵食していくかのように、じわり、じわりと男の体は消えていった。あたしはただそれを眺めていた。最後に男は口だけになった。そして、消えゆく直前、その口はあたしを嘲笑うかのような笑みを浮かべた。
そこで、その映像は突然途切れ、あたしは暗闇に飲みこまれた。





――目を覚ますとあたしは保健室のベッドの上にいた。保健室の先生の話によると、図書室の入り口で倒れたあたしを図書委員の人がここまで連れてきてくれたそうだ。多分軽い貧血じゃないかしら?しばらく横になっていれば大丈夫よ、と若い女の先生は言った。はい、とあたしは答え、再びベッドの上に横になった。……あれは夢だったんだろうか? そんなことを思いながらあたしは保健室の中を寝たままぼうっと眺めていた。壁には白衣がかけられており、その横には身長計や体重計が並べられ、ドアには視力検査のための検査用紙が貼られていた。そして先生の座っている椅子の横にはおそらく薬などが入っているであろう白い棚があり、その上には白いドレスを着た人形が置かれていた。そこであたしの目はその人形に釘付けになってしまった。人形をじっと見つめているあたしに気づいた先生は、ああ私そういう人形が好きでね、趣味で集めてるの。どう、可愛いでしょ?と言った。しかし、あたしは何も言うことが出来なかった。
違うのだ。あたしはその人形が可愛いから見つめているのではなかった。人形は口元にあの微笑を浮かべていたのだ。あたしを嘲笑うかのような、あの微笑を。
戻れない。もうあの世界に戻ることなんて出来ないのだ。あたしはそのことを強く感じた。
……どうしてこんなことになってしまったんだろう?