ループ&ループ

最近何故かはわからないがやりたくはないけどやらなければならないことが多くて忙しい。こういう時はいつも「朝目覚めたら面倒なことが全て終わった1ヵ月後にワープしたりしてないかな」とか思いながらベッドに横になるのだけど、もちろんそんなことはあるはずもなくて、普通に昨日における明日であった今日という日がやってくる。溜息。ああ、嫌なことは早く終わって欲しい。でも、実際に今嫌だと思っていることが終わって1ヶ月後になったとしても、そのときには別の嫌なことがあったりしてまた同じようなことを考える。それがひたすら繰り返されていく。だからもし仮に嫌なことを全てワープすることの出来る能力を持っていたとしたら、度重なるワープの果てに僕を待ち構えているのはおそらく死なのではないかと思う。でも僕は死にたくはない。嫌なことをすっ飛ばしたいけど死にたくはないというのは何だか矛盾しているような感じがする。
そもそも嫌なことをすっ飛ばしてしまいたいという願望は、嫌なことの後にはいいことがある、あるはずだ、という前提に基づいてなされているように思うけれど、その前提自体が何の根拠もない考えに過ぎないし、今までの経験から考えるに大抵の場合は何かしらの問題が解決したとしても、その後には別の問題が待ち構えていることがほとんどである。何も問題のない状況などというのはめったにない。物事というのは裏があるから表が存在するのだ、といったようなことはよく聞くことだが、やはり日々の生活においても嫌なことというものがあるからこそ、楽しいこと・面白いことというものは存在できるということなのだろうか。日々の全てがいいこと・楽しいこと・面白いことで満たされるということはありえないことなのだろうか。もし仮に全てがいいことで満たされたとしたら、それはいずれ嫌なことへと転化してしまうのだろうか。人間を除いた動物の場合はどうなのだろう。動物というのも時には嫌なことをやって生きているのだろうか。動物は嫌なことはやっていないんじゃないか、と僕は思う。
面白いこと・楽しいことといったいいことに分類される事項は自分という人間一人でも成立可能なように思うが、嫌なことというのは、自身の生存にかかわる事項を除けば、社会関係というものがあって始めて成立しうるのではないだろうか。イギリスの啓蒙思想家のベンサムは「人間とは快楽を追い求める人間であり、全ての人間が苦痛を避け己の快楽のみを求めたら人間社会が成り立たなくなってしまうから、功利性の原理に従って最大多数の最大幸福を追求するべきなのだ」と言っているが、もし、苦痛(嫌なこと)の多くが人間社会という存在に依っているとしたら、そもそもそのような人間社会を成り立たせる理由が見つからないのではないか。社会関係を築くことは、自分で掘った穴を自分で埋めるような行為に過ぎないのではないか。老子の言う「無為自然」という状態の方がよほど最大多数の最大幸福という状態につながるのではないだろうか。
……と、何とかして嫌なことを避けたいなあ、という僕の思いは尽きず、つい自らの属する人間社会まで否定してしまった。しかし何だかんだ言っても嫌なことは避け難いので、結局己の心持を変えるしかない、という精神論に落ち着くのである。でも、それが出来る人間なら初めから苦痛なんてないのだが。
社会が悪いんだ!という勝手に改蔵に登場するいいわけの高等テクニックみたいな話はとりあえず置いといて、もし本当に嫌なことを避けるために1ヶ月後にワープ出来たとしたらどんな感じになるのだろう。その飛び越える1ヶ月に起こりえたことについての記憶のないままに現在の自分がそのまま1ヵ月後の世界に現れるのだろうか、それともその飛び越えた1ヶ月間の記憶を得た状態で1ヵ月後の世界に現れるのだろうか。ドラえもんのタイムマシンを使ったワープは前者に対応する。前者なら僕の望む苦痛を避ける、という目的は達成しているように思うけれど、もし後者のような状態でワープするとしたら、それは苦痛を避けるという目的を達成していることになるのだろうか。というか、その場合それをワープだと言えるのだろうか。ワープしないで1ヶ月間を過ごしてきた自分と違う部分があるのだろうか。難しいところだ。逆に過去に戻るワープの場合は過去に戻る過程でその間の記憶がなくなってしまったら過去に戻ることの理由が失われてしまうように思う。と、書いて以前日記内で引用したAAの文章を思い出した。いつだったけ、と思って調べてみたら今年の3月のことだった。AAは省略して文章だけをもう一度抜き出してみる。

兄者は十年後にはきっと、せめて十年でいいからもどってやり直したいと 思っているのだろう?
今やり直せよ。未来を。
十年後か、二十年後か、五十年後からもどってきたんだよ今。
(あるAAより文章のみ引用)

この文章を引用したときは、そういう考え方で毎日を生きるべきなんだ、というように解釈をしたように思うが、過去に戻る過程で記憶が消えてしまう種類のワープをしたと考えてみれば、もしかしたら本当に未来から戻ってきているという可能性も否定できないことになる。いつかこのAAの弟者に対応するような絶対者が僕の前にも姿を現すかもしれない。その絶対者は僕に対してどのような言葉をかけるのだろう。