宇宙とボクシングが萌え

今日も今日とて説明会。業種は絞らずとにかく色々な企業を回っているが、行く度に思うのは、セカチューの片山恭一氏の小説のタイトルではないけれども、ぼくの知らないところで世界は動いているんだ、ということである。世の中には僕の知らないことが、当然のことだが非常に多い。そういう僕は知らないけどしかし面白そうな様々なことについてほんのさわりだけでも触れることのできる就職活動というのは実にいい機会だと今のところは感じている。もちろん、企業だって事業のいい場面しか言ってないからお主はそう感じるのだ実際は大変なことの方がさぞ多いことであろうよ、ということもあるかもしれないし、実際におそらくはあるのだろうが、それを考慮したとしても、色々なことを知れるいい機会であることには変わりはない。大体5〜6月には就職活動も終わるそうなので、これからも業種を絞らず色々なところを回ってみることにしよう。
説明会からの帰り道、電車に乗って川を越えているときに太陽がやたら眩しくて僕は読みかけの文庫本から顔を上げ太陽を意識する。川面は白く輝いていて、よく見えない。朝方雨が降っていたので、いたるところに残っている水滴が光を反射するせいでこれほど眩しいのかもしれない。などとそんなことを思っている間に電車は橋を渡り終え、音が変わり、電車の進行方向も変わったためか車内に光も差し込まなくなった。すっかり明度の落ちた、人の少ない車内の風景を、先ほどの眩しさでいまだ上手く機能していない目でぼんやりと見やりつつ、僕はふと死について思いを馳せる。死ぬっていうのは何なんだろうか、それは終わりなのか、生の対極なのか、それともその延長上に位置するのか、恐ろしいことなのか、楽しいことなのか。そういった色々な考えが頭の中を駆け巡っていく。僕はそこで以前死について考えたこと、自分は死の間際にもたらされる可能性の高い痛みについて恐れていたことを思い出す。そこでさらに考えてみる。痛みが死を恐れさせ、紛らわせ、隠してしまうというのならば、痛みがない状態ならば、純粋にただ死とは何かを追求できるのだろうか。そんなことが頭に浮かんだ。以前テレビか(あるいは本)で見た(読んだ)ような記憶があるが、世の中には無痛病という痛みを感じない病気があるらしい。痛みというのは日常生活において非常に重要な感覚であり、それを感じることができないと、たいへん困難である、というのは伝わってきた。しかし、そのような方の死生観というものは特に語られていなかったような気がする。どうなのだろうか。とそんなことを思いつつ家に帰ってからネットで検索をかけてみると乙一の短編集「ZOO」の感想文がひっかかり、その短編集の中には、無痛病の老人を襲う出血の恐怖、なる話があるらしいことがわかった。さすが乙一だ。ZOOは文庫本落ちを待っていたんだけれども、こう一度気になってしまうと、いますぐ読みたくなってしまう。とりあえず明日図書館に行ってみる。あればいいのだが。
蒼井優コスプレ!っつーことでHを買う。蒼井優可愛いよ蒼井優などと思いながらページをめくっていると中川翔子通称しょこたんが出てきて「うわっww」とか思いつつもインタビュー記事を読んでみたらしょこたんの宇宙好きの話とか載っててまあその他にも色々なことが書いてあってそのインタビュー記事を読み終えて僕はしょこたんのファンになった。いままでは「いやー……、ないでしょ」とか思ってたけど、なんかいいよ、しょこたん。凄い。