生きる
- 出版社/メーカー: 東宝
- 発売日: 2003/03/21
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われわれはいわば二度生まれる。
一度目は存在するために、二度目は生きるために。
これは倫理の教科書なんかに載っている、ルソーの「エミール」の中の有名な一節であるけれども、この黒澤明の「生きる」という映画を見て、人間はいわば三度生まれる、と言えるのかもしれないな、などと思った。一度目、二度目がルソーの言うような誕生だとすれば、三度目は死ぬため、人間として生きてそして死ぬための誕生なんじゃないか。映画内のシーンで言えば、ハッピーバースデーの歌で包まれる中、主人公がある決意を抱いて階段を下っていくあのシーン。きっとあれが三度目の誕生のシーンだったのだと思う。その後公園造りに奔走した主人公は、出来上がった公園で微笑を浮かべながら死んでいく。その微笑みは公園を完成させることができたという達成感によるものなのか、よく「生きる」ことができたという満足感によるものなのか、あるいは、その両方なのか。果たしてどうなのかは分からないが、本人が満足して死んでいけたのなら、それはそれでいいんじゃないか、と思った。
ただ、若干、仕事賛美的な点が気になったりもした。これは僕自身が就職活動を終えたばかりであり、かつ、いまだ「社会人」とやらになったことがないからかもしれない。仕事って素晴らしいものなのかしら。わかりません。また、数十年も退屈で面白くないと思い続けてきたような仕事にいきなり全力で取り組めるっていうのがどうにも変だなあ、と思った。今まで退屈な日々を送り、「生きる」ことから逃げてきた主人公が、今度は「死ぬ」ことから逃げているだけで、結局根本は変わっていないんじゃないか。と思う。
あと、おそらくこの映画は、死の対極が生、生きることであるという考えで作られているように思うのだが、はたして死の対極は生と言えるのだろうか、というようなこともこの映画を観終えた後に考えた。今現在の僕の中では、死というのは点であって、1から0に変わる瞬間、そういう転換点であるようなイメージであり、一方、生は線、続いていく日常の総体が生なのでは、というイメージがある。確かに生と死というものは同時には存在し得ないものだから、対極と言えるのかなあ、と思ったりもするけど、でも、点と線のイメージをを比較するというのが、どうも自分の中でしっくりこない。とはいえ、じゃあ死の対極は何で、生の対極は何なのか、は浮かんではこないのだが。でも、必ずしも対極の概念というものが存在するわけじゃないよね。とは思う。全てが並列に存在しているのかもしれない。なんて。ただ言うだけなら何でも言える。自由だ。I'm gonna knock the door Into the world of perfect free!!(by BEAT CRUSADERS「HIT IN THE USA」)
ラストシーン。何事もなかったかのようにアタリマエの日常に飲み込まれていくあのシーンは、見ていて怖くなった。仕事、って何なんだろう。本当に。