不断の動き
月曜というのは小生にとってまさに鬼門である。サザエさんを観覧しておらぬにもかかわらず日曜夕方には必ずサザエさんシンドロームに陥り、その鬱屈とした気分は月曜朝も晴れることはなく、授業に行かなくてもその存在が成立する大学生という地位にいるということもあり、月曜もぐだぐだとした日々を過ごしてしまうのであるが、小心者である小生、授業に行かないというそんな状態に入学から4年経った今でも慣れず、いや慣れてはいるのであるがどうしてもある種の罪悪感みたいなものが拭い切れず、今日も3、4限をサボタージュしてしまった嗚呼私ってなんて愚か者なのかしらん、と自虐の渦にはまり、せっかく授業をサボタージュして確保した時間も、死に時間として無駄に消費してしまい、失意のままバイトに行くのである。ザッツ月曜’sスタイル。
だが今週はいつもの月曜とはちょっと違い、サークルの先輩のライブを観に立川のライブハウスに行ってきた。開場時間より少し遅れて地下への扉を開くと耳をつくのは地面を激震させるほどのドラムの音。まばらな人の隙間を通り抜けてカウンターに行きビアーを頂き、それを口へと運びながら鑑賞する。いくつかのバンドが終わった後に先輩のバンドがやってきて、演奏した。もうすでに社会人であるその先輩が演奏しているのを初めてみたので、なんか新鮮でよかった。サラリーマン生活についても聞いてみた。楽だけど、今日は残業でライブ来れなくなりそうになって早くも辞めたくなったわ、いつ辞めるかわからんね、ははは。と言っていた。ははは。と、小生と友人も笑った。そう、どんなことだって辞めることなんていつでも出来るのだ。ときおり当たり前のはずのこの事が見えなくなって日常が嫌になるけど、もっと気楽にやってけばよいのである。鬱屈した月曜の鬱屈が若干晴れたような気がした。
が。次の日の火曜は結局また「ああ行きたくねえ」という思いが勃発し、いくつかの授業をブッチぎった。再びある種の罪悪感が小生を覆う。丸山眞男は「<生>と<形式>のどちらに安住するのでもなく、<生>を<形式>によって秩序付け、<形式>を<生>によって再構成していくという不断の試みが大事だ」みたいなことを言っているが、人が生きていく過程においては誰しもそのような行為を無意識のうちに行っているだろうと思う。<生>だけじゃだめだし、<形式>だけでもだめ。折衷案もだめ。常に両者間を動いていなければいけない。だからこそきっと毎日って疲れるんだろう。と思う。