モロー博士の島
- 作者: H.G.ウェルズ,H.G. Wells,中村融
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1996/09
- メディア: 文庫
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モローは自らの実験がいかに素晴らしいものであるかということを、14章「モロー博士の弁明」の中で切々と、そして情熱的に語っていたが、全く共感できるものではなかった。特に主人公ブレンディックが聞いたピューマの悲鳴に対しての、苦痛に関する弁明なんて、何が何だか。何てひとりよがりなやつなんだ! だったら自分を改造してみろよ、と思った。そう、もし、動物の改造が完璧になったとしたら、やはりモローは自らを自らの手で改造するつもりだったのだろうか。僕は新世界の神になる!じゃないけど、そうやって自分自身をもさらに一段高いステージへと進化させて。ちょっと考えてみたのだが、どうもモローにそういう感覚はないような気がする。モローには人間こそが究極だ、みたいな感覚があるように思う。だからこそ動物にあそこまでのことをすることができるのだろう。モローの、この動物に対する(そして自分を認めない人間たちに対する)共感のなさは、果たして「進化」なのだろうか? 先日読んだ『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』では、アンドロイドと人間の間の最も異なる点、言い換えれば、アンドロイドが唯一持つことの出来ない能力こそ、感情移入、他者への共感、というものだった。それに比べると、えらい違いである。そんなモローには、ぜひ犬や猫にオールマイトゥルーラブを捧げまくっている今のジャパンの多くの人たちの姿を見せてあげたい。だから何回も言ってますけど『いぬのきもち』や『ねこのきもち』は書店販売してないですから。ほら、もっと広告をよく見て!