バッファロー’66
槇原敬之はその昔「どうしようもない僕に天使が降りてきた」という歌を作った。どうしようもなかった僕はその歌、というよりもそのタイトルをえらく気に入り、僕は確かにどうしようもない人間であるが、そんなどうしようもない僕にもいつか天使が舞い降りる日が来るのだ、そう信じ、それ以来相変わらずどうしようもなく生きてきた。しかしそんなどうしようもない僕の前に天使は舞い降りてはこなかった。そしてわかった。違う。どうしようもない僕なんぞに天使など降りてきやしない。天使は自らの手で掴み取らなければならない。そう、バッファロー’66の主人公、ビリー・ブラウンのように。
「…生きられない」とついデニーズのトイレで嘆いてしまうような、そんなどうしようもない彼にキッドナップされたにもかかわらず、大した文句も言わず付き合うレイラの心象風景は全く想像できないが、しかしその不可解さも彼女の天使性を際立たせる。天使というのは理解できるものではないのだ。こんなやつぁいねえ。そう思えるくらいでないと天使など務まらない。あらゆることを全てを受け止め、理解してくれる。その意味で、レイラはまさに天使だった。ビリーは自らの手で天使であるレイラを掴み取り、最終的に目の前の2つ選択肢の中から彼女を選んだ。つまり、ただ待っているのではなく自ら行動し、自ら選択することで、初めて天使というものが舞い降り、そして祝福を与えてくれる。KingCrimsonのmoonchildに乗せたダンスとともに。そのとき、もはや彼は決してどうしようもなくなんてないのである。
どうしようもない僕に天使など降りてきやしない。どうしようもない者はどこまで行ってもどうしようもないままなのだ、掴み取ろうとしない限り。
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