やめるということについて

会社のとある同期が今月いっぱいで退社する、ということを本人からのメールで知った。別に同期が辞めるのは初めてだというわけでもないんだけれど、これまで辞めていった人は別事業所にいたりして、ほとんど面識もなく、社内報のようなもので事後的に知るということが多かったのに対し、今回はまあ一緒に食事に行ったり、映画を観に行ったこともある人だったので、ちょっと驚いた。わりと知っている人が辞める、ということが何だか不思議な感じがして、自分の中でうまくとらえきれていない気がする。なんだろう。自分自身「いざとなったらやめよう」などとはいつも思っているはずなんだけど、実はあまり現実味を帯びていなかったその「いざとなったら」が、突然目の前にやってきてしまったような。オイオイまだ全然準備できてないよみたいな、そんな感じ。ただ、今いる会社は働く人のやる気をなくさせることにかけてはたいへん優れているので(他の会社で正社員として働いたことはなく比較はできないので、あくまでも主観的な話)、辞める気持ちはわかる。やる気のある人にとってはぬるい会社でもあるし。まあ、いずれにせよ、彼女には新しい職場で楽しくやっていってほしい。
僕は、そういうことも考えとかないといけないなあ、と思いつつも、結局、具体的なことは何も考えていない。「いざとなったらやめよう」とか結構普段から思っているわりに、その、やめるということについて、すごく、なんというか、自分の中に負のイメージがあって、別に他人がやめることについては何らマイナスともなんとも思わないんだけど、自分がやめることについては「いけないことをしている」という感覚がある。こういうのが「日本的価値観」というものなのか。いや、ちがうな。ただ単にやめるということが怖い自分を、やめるという行為から踏みとどまらせようとするためのものでしかないのだろう。あまりのチキンっぷりにわれながら呆れてしまう。