あるべきすがた

「お店入ってすぐに私もお酒いいですか、ってやつおるけど、俺はそれ好かんけん。お前らの仕事は客を楽しませることやろ、なのに何でまだ何もしとらんやつに酒を飲ませなきゃいかんのか」

 朝7時、博多は中州にある24時間営業のラーメン屋のカウンターで朝食にしてはやや重たいとんこつラーメンをすすっていたときに、男がとなりのテーブルで目の前にいる茶髪の女二人に対し熱くそんなことを語っていた。

「確かにそうやね~。でもお店側としたら女の子のお酒をどうやって入れてもらうかが売上にもつながるし女の子もバックが入るからそうなるんやけどね~」

「とはいえお店入ってすぐとか間違っとるやろ!」

「まあ、そうやけどね~」

 自分がラーメンを注文し、食べ始め、替え玉を頼み、そしてそれを食べ終え店を出るまでの間ずっと、彼らはずっと大声でそんなことを話し続けていた。話は幾度となくループし、いつ終わるともしれなかった。

 彼らは互いにキャバクラのあるべき姿を語っていた。男は客側からみたキャバクラのあるべき姿を、女は店側からみたキャバクラのあるべき姿を。だが、聞こえてくる話を聞いている限り、それらが交わることはなさそうに思えた。

 同じようなことは自分の日常でもよくある。会社でのあるべき姿の議論だ。会社というのは実体のある人間とは違いあくまでも法的な概念でしかないため、会社が何をするのかというのは誰かが決めないといけない(法的には株主が決めることになる)。そこで各社ミッション、ビジョン、バリューなどを定め、従業員に周知して方向性を合わせるということを行うわけだけど、大抵の場合ミッション、ビジョン、バリューというのも抽象的な概念なので、それを具体的な実行に落とそうとしたときに各人の理解に差が生じて議論になるのである。

 自社の存在意義は何か?みたいな議論をするときに、みんなミッション、ビジョン、バリューなどを踏まえつつ各々意見を言うんだけど、自分としてはそんなの従業員が議論すべきことではないから時間のムダ(=株主からの委任を受けた役員らが明確に打ち出しかつ浸透させるべき)だと思うし、そもそも「存在意義なんて別にないでしょ」と思っているので実に面倒だなと思ってしまう。

 だけど、みんなこの「あるべきすがた」の議論が結構好きみたいで、ことあるごとにそんな議論が出てきて、そこでは自分ももちろん意見を言わないといけないから言うんだけど、「あるべきすがた」なんて人それぞれだから結局なかなかまとまらなくて、ただただ時間だけが過ぎていくのである。

 ラーメン屋で議論されていたキャバクラの「あるべきすがた」ははたして明確になったのだろうか。気になるところである。