ランドセルを見せに行く

 なんだかんだ子供も大きくなって来年から小学校に通うことになるので保育園に通うのもあと数ヶ月である。保育園への登園は自分の担当なので、登園途中で「今日の雲は筋雲だねー、あれは秋の雲なんだよ」「いわし雲だっけ? あれ、うろこ雲?」みたいな話をしながらいつもと変わらず登園していたおり、ふと、「来年から小学生だから保育園に行くのも後少しだねー」などと子供に言ったところ、何気ない感じで「そうだねー、さみしくなるよねー。そうだ、小学校の最初の1日にランドセル背負って保育園行こうかな。先生喜んでくれるかな?」と言った。それを聞いて、自分はなんかよくわからないんだけど感情がこみ上げてきて思わず泣いてしまったのである。

 そのときは自分でも何で泣いているのかよくわからなくて、子供からも「あれ、なんか目が赤いけど大丈夫?」とか言われたりして、「あー、冬に近づいてきたから乾燥していて目が痛いんだよねー」とか適当にごまかして、登園して登園時間と体温を登園簿に記録したら逃げるようにして保育園を出た後に、ちょっと遠回りしてスタバによってホットコーヒーを飲みながら少し考えてみた。さて、何で自分は泣いてしまったのだろうか?

 しばらく考えてみて自分が出した結論は次のようなものであった。子供はきっと保育園の先生のことが大好きだから、自分がランドセルを背負っている姿を大好きな先生に見てもらいたいのだ。そして率直に言ってそのような感情を自分は抱いたことはないので、自分は、自分の子供がそのように他人を好きになることができたことがただただ嬉しかったから泣いていたのだと。

 自分が小学校から中学校に進学したときも、何人かの同級生は小学校の先生に会いに行ったりしていて、自分は何でそんなことをするのかよくわからなかった。だけど今はただ好きな先生に中学生になった自分を見てもらいたいということだったんだなということがよくわかる。何を当たり前のことを、と思うかもしれないが、少なくとも中学生のころの自分は、そんな考えには思いも至らなかった。他人は自分とは違う存在で、わからないものであって、基本的に信用していなかったので(今でもそういう面はあるかもしれない)、そんなことにも思い至らなかったのだろう。

 そんな「当たり前」のことにさえも思い至らなかった自分。そんな自分の子供が、保育園の先生に対してそのような感情を抱くようになっていることが嬉しくて、きっと泣いてしまったのではないか、というのが現時点での分析結果である。子供とそんな信頼関係を築き上げてくれた保育園の先生方には感謝以外の言葉はない。