心頭滅却

今週は忙しい週だったのだけど、ようやくそれも終わろうとしている。嬉しいことだ。テストが近くなってきたので、授業もほとんど出席した。授業の意義について何かを考えてしまうと、途端にやる気がなくなるので、何も考えずにひたすらノートを取り続けた。結局単位をとることのみを目標にするのであれば、その勉強(学問ではないという意)に関して何も考えないのが一番正しい選択だろうと思う。「好き」とか「嫌い」という範疇ではなく、「どうでもいい」というレベルへの昇華。それが出来るようになればシメたものだろう。「好き」であれ「嫌い」であれ、そういう感情を対象に向けて持つということは、少なからぬ労力をそれに対して割くということになり、その対象がどうでもいいものであればあるほど、疲れてしまう。だとするならば、それについては何も考えなければいい。事務的機械的に淡々とそれをこなすことが出来るようになればもう完璧だ。けれども僕のような弱い人間はふとした瞬間に「意義」などということを考えてしまい、沈んでしまうのである。弱い。実に弱い。
福本伸行の漫画「最強伝説 黒沢」の中に、正確な言葉は忘れてしまったけれど、次のような感じの台詞がある。「学校に意味なんてないんだよ。他人に流されていけば平穏で無事な人生が待っているんだ。だからお前も『自分』とか『意味』なんてどうでもいいことは考えずに他人に流されろ」といった台詞である(適当なのであとで正確なものを引用予定)。発見したので引用。3巻の決闘前のファミレス内での会話。

バカヤロォーーッ…!
無理に行くんだよっ! 学校なんてもんは…!
(省略)
意味もなく漠然と通ってんだ………! 中学なんてもんは………!
(省略)
流されろっ……!
頼むっ……! 流されてくれ孝志…!
たいそうなことを言うなっ…!お前は…
偉人でも天才でもない…!流れを降りたらまず…
(省略)
いいんだよ………! 強制されて…!
強制されて………
人間はかろうじてまともなんだよ………
誰だってみな……
そういう圧力の中で生きてんだ……!
オレだってよ…! あああ〜〜…!

福本伸行「最強伝説 黒沢」3巻より引用)

これを読んだときに、この台詞を言った父親(父親が不登校の子供に対して言う台詞だった)は、強い人間なんだな、と感じた。何故なら、意味がないということを知った上で流されるという態度を選択しているからである。それは全然「逃げ」なんてものではないし、むしろ人生の不条理さというものに立ち向かう態度だと、僕は思う。一言で言えば、それが「勇気」というものなのだろう。自分の夢だけをひたすら追い続けることができることを「勇気」だと思えるほど、僕はもう子供ではないし、そんなことを言いたくはない。かといって、そういったドリーマーに自分がなれるのか?と問われれば、当然のごとくなれないわけで、そういうドリーマーに対しても、僕は憧れを抱くのである。つまり、ドリーマーも「勇気」というものを確かに持っているのである。
自分の言っていることが自分でも正直よくわからないが、じゃあ一体何が大事なのだろうか、と考えてみると、「選択すること」というのが重要な意味を持っているのではないかと、思う。「選択すること」というのは自分を自分で規定していく、ということであり、それはつまり、自分の人生に責任を持つ、ということになるのではないか。社会システムが悪いとか政治が悪いとか、まあそういうのもある部分では正論だということもあるかもしれないが、仮にそれらが実際悪かったところで、それらが在るという事実は変わらないし、それらはそんな簡単に変わるものではない(変わったら大変だ)。だとしたら、それらの存在をありのままに受け入れた上で、「じゃあ自分は何を選択するのか」ということを考え、そして周りの意見など考えずに、その自らの考えを貫くのが賢い生き方なんじゃないかと思う。だからその意味において、「黒沢」に登場する父親も、ドリーマーも、同じように賢いのである。「勇気」があるのである。
ああ、僕も賢い人間になりたい。