未成年とゲームと犯罪

大阪寝屋川市の市立中央小学校で卒業生の少年(17)が教師を刺殺するという事件が起きた。はっきり言って最近ではもはや目新しくもない未成年のひきおこした事件だけれど、別に僕はこの事件に関して「やっぱり17歳という年齢は不安定なんだ」とか、「そういえば自分が高2のときやたら17歳による凶悪犯罪が起こって『危ない17歳』なんていう見出しが世の中を席巻していたなあ」などという感想を述べたいというわけではない。ではなぜ僕がこの事件を取り上げてみたかというと、見ていたニュース番組で次のようなテロップが突如画面上に現れたからだ。

「(少年は)テレビゲームが好き」
「徹夜でゲーム」

ああ、またか。またマスコミお決まりの、テレビゲームに因る現実虚構混同論ですか。正直、本当に馬鹿なんじゃないかとすら感じる。FC版のドラクエ3の時の事件*1から全く進歩していないマスコミの意見。情報の上辺だけを掬い取ってそれをさも普遍的な事実であるかのようによく言うことができるもんだ。笑える。
と、いきなり軽く苛立ってるwんですけど、何でこんなに過敏に反応しているのかというと、ちょうど昨日、「テレビゲームと癒し」*2という本を読んだばかりだから。
「テレビゲームと癒し」という本は、精神科医である著者の香山氏がカウンセリングの現場での経験を通じて、「もしかするとテレビゲームには癒しの効果があるのではないだろうか」という疑問を持つところから始まります。しかし、世の中に流布する多くの意見は「テレビゲームは悪」という立場。香山氏は幾つかのそういった内容の論文を引きながら、それらを即ざに否定して切捨て「やはりゲームは素晴らしい!」とするのではなく、冷静に分析、対応していく。そして途中で「テレビゲーム接触によって社会的認知能力が低下するとは簡単には言い切れない、なぜなら社会的認知能力が低い子供がテレビゲームを好むという逆の因果関係もありうるからだ」という坂本章氏の論文を引用している。
そう、僕もそこには完全に同意。その辺の相関関係とか調べたことあるのだろうか。それにそもそも少年少女でかつ凶悪犯罪を犯しかつその子がテレビゲームが好きであるというサンプルの数なんておそらく凄く少ないわけで、凶悪犯罪を犯した人物が「たまたま」今までの所はゲームがすきだったの“かもしれない”。結局テレビゲームは悪だという主張は、“かもしれない”程度のレベルでしか語れないことだろう、と思う。
それにその主張はゲームじゃなく、例えばアニメーションなどに取って代えることも可能な主張のように感じる。でも事件が起きたときに槍玉にあげられるのはアニメよりもゲームの方が多い。多分それは、香山氏も本の中で述べていたが、知らないものに責任を押し付けてしまう、という人間の機能が働いているのだろうと思う。マスコミでその中核を形成する30〜50代位の人で子供の頃アニメは見たけどゲームはやったことがないという人は多いだろうし。
また、ゲームの進歩により、バイオハザード等などのリアルなホラーゲームが数多く台頭してきたこともその一因なのかもしれない。でも、僕自身の例を挙げれば、僕はホラーゲームは好きだけど、実際の心霊スポットとかにはまず行きたくない。怖い。無理。僕一人の例から結論のように述べるのは変だけど、ホラーゲームで人を殺すのが好きだから殺人嗜好性があると結論づけするのも早すぎるのではないかと。そう結論付けてしまうことは、心霊スポットで殺人事件が起きたときに幽霊の仕業にするのとほぼ同じことだと思います。
ただ、結局こういう論議はゲームが好きか嫌いか、ゲームをどれぐらいやってるかやっていないかで決まってしまう部分があるのも否めないと思う。香山氏もゲーム好きだし、僕もゲームが好きだからやっぱりゲーム擁護派に回ってしまうわけで。ゲーム嫌いな人はゲームやらないし、やっても嫌々やるんじゃ何の意味もない。僕だって例えば「いもむし食え」とか言われても絶対嫌ですからね。で、食べずして、そんなの食い物じゃねえよ、と思う。それと同じ。もはや文化の違いとも言えるかもしれません。
文化相対主義がなかなか受け入れられない口先のみ平等の差別主義国家である日本では、この論争に決着が着くのはまだまだ先になりそうな気がします。

*1:1988年目黒区の中学2年の少年が両親と祖母を刺殺するという事件が起きた。そのとき写真家の藤原新也氏が事件とドラクエ3が似ているというような意見を述べ、話題になった。

*2:香山リカ著 岩波書店 1996年