記憶は塗り替えられる

どうして自分はこのようなところにいて、どうしてこのような状況になってしまったのだろうか。些細なことをきっかけとして、ついそんなことばかり考えてしまう。お前が何も考えずにただ流されるままに選択をしてきたからであろう、と言われてしまえば、確かにその通りなのであるけれども、もう少し偶然の神様は選択のときに僕に味方してくれたってよかったんじゃないかと思う。まあ、甘い考えだと自分でもわかっているのではありますが。そんな甘えた戯言を言いたくなってしまうほどに、どうしようもない。周りにいる他の人々の中にもこのようなことを考えている人はいるのだろうか。僕だけがこんなことを考えているわけではないだろうから、きっと、別の分野に進めば良かった、と考えている人はいるだろう。そうだとすると、僕が今、確率やリスクの分野っていうのは面白そうだなあ、とか、経済のカオス的変動を様々な方法・理論を駆使して予測するというのも面白そうだなあ、と思ったりしていることは、ただ単に他人の芝生が青く見えているだけに過ぎないのだろうか。そして、それが仮に正しいとすれば、僕がもし管理工学や数理科学といった方面に進んでいたとしても、やっぱり僕はそれをつまらないと思い、法学の方面に進めばよかった、と後悔するのだろうか。わからない。そうであるかもしれないし、そうでないのかもしれない。仮定の話に、初めから答えなんてないし、答えを出したところで、それは虚しさ以外の何物をも生みはしない。それでもこんなことを日々延々と考えているのだから、僕は愚か者である。
一つの嫌なことがあると、その鬱屈した感情が、過去の楽しかった記憶さえも塗り替えてしまうことがある。僕は現時点において、こんな大学に来るべきではなかった、と心の底から後悔しているけれど、しかしサークルで自転車に乗って様々な地方を旅したことはとてもいい経験になったし、面白かったと思っている。だが、毎日毎日、自分の興味のない授業へ出席の為、あるいはテストの為だけに行く、という無意味な生活をおくっていると、いつのまにかその無意味さは僕の過去の記憶をも侵食し、楽しかったはずの記憶も無意味でつまらないものだったかのように思えてしまう。それが自分の中の真実になってしまうのではないだろうか、と考えると怖ろしい。また、僕が日々思っていることの中に「自分は大学入学以来、どんどん頭が悪くなり続けている」というものがある。頭の良し悪しなどというものは単純に数値で測れるものではないと思うので、実際に悪くなっているのかどうかは定かではないけれど、それ以前にこんなことを考えてしまう自分に対して悲しくなる。
僕は一体何をしにここに来たのだろう。