雑巾

民法の補講に出席した。先生はとても素晴らしいことを言っていた。全くその通り。僕は最初から法律学者なんてものにはなりたくはない。あの大学のあの学部の大多数の教授は自分が勘違いしたまま講義を行っていることに気づいていないのだろうか。いや、そうではなくて、気づいているにもかかわらず、あのような眠くなるほどどうでもいい講義を繰り返し、あのようなくだらない試験を繰り返しているのだろうか。まあ、どちらが正しいかは定かでないにせよ、どちらにしても終わっていることには違いない。だがしかし、もしかすると、あの学部に属する僕以外の学生の大多数は法律学者になりたいと思っている、という可能性もある。そうだとすれば、あの授業は実に民主主義的な決定方法である多数決という方法によって、価値が認められることになる。そうなると僕のようなマイノリティはただただ我慢をするしかないが、実際にそのような場合を考えてみると、もっと哀れなのは僕以外の法律学者になりたいと思っている多くの人たちなのではないかと思う。だってそれだけの人間を全て学者として受け入れるような枠が大学という機関あるいは研究所等にあるわけもないというのはちょっと調べてみればすぐにわかることだからだ。そのような事実があるにもかかわらず、あのような講義を続けているのだとすると、それはある意味詐欺なのではないかとしか僕には思えない。仮に学部卒業後ロースクールに行ったって、みんながみんな司法試験に受かるわけではないし、もちろん学者になれるわけではない。医学部や薬学部というものが、そこに属する人間を基本的に医者や薬剤師にするための学部であることとはえらい違いである。ロースクールって何がしたいの?よくわからない。そしてロースクールの意味が分からない以上、法学部の意味なんてますますわからない。
いったい法学部というのはどのような人間をどのような方向へ育成しようとしているのだろう。僕には全くわからない。でも、わからなくてもやるしかない。やる気を搾り出さないといけない。水を搾り出さないといけない雑巾と同じようなもんである。何の目標も展望も希望も見えない事柄に対してやる気を出すということほど辛いことはない。本当に、ねえ、何なんだろう?