ニートブームの火付け役?
今更ながらニート―フリーターでもなく失業者でもなくを読んだのだが、最後の方のまとめの部分は僕が今まで考えていたことと重なる部分が結構あった。例えば、近年、情報が氾濫したことで、以前よりも選択の幅が広がったようにみえて、実際は迷うことが多くなり、結果、自分の意思など持たず多数派に流れる傾向が強まる、とか。本当にそう思う。ただ、情報が限られていた世界で生きるほうが必ずしもよかった、というわけでないが。問題になる場所、位置がずれただけのことだと思う。何も問題のない世界なんて、旧約聖書のエデンの園くらいのものだろう。
どのあたりに書いてあったかはちょっと忘れてしまったのだが、「何を捨てられるかが重要になってくる」というような文章もあって、いや、本当にそうだな、と思った。まあ、何を捨てられるか=何を選択するか(選択されなかったものは結果として捨てられることになる)なので、選択というものの重要性をあらためて認識した次第である。
しかしこのあたりの色々な話について、正確に評価できるようになるには、多分もう少し時間がかかるだろうと思う。というのも、僕はこれらのことについて自分のこととして身近に考えてしまい過ぎている部分があることが否めないからだ。やはり何かを評価するときには、対象に対して距離を置いた位置からみるだけではなく、自己に対しても距離をおいた位置から評価することが大切だと思う。これは、丸山眞男の思想研究の姿勢から学んだことである。
はたして自分に距離をおけるようになるには、どのくらい時間がかかるのやら。