自動車絶望工場 鎌田慧
- 作者: 鎌田慧,本多勝一
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1983/09/08
- メディア: 文庫
- 購入: 13人 クリック: 144回
- この商品を含むブログ (68件) を見る
以下、印象に残った箇所をいくつかメモしておく。
たとえば工藤君の場合には、労働は初めから辛いもの、という前提があり、初めから自分とは関係ないものだという「思想」があるのではないだろうか。(p75 6行目以降)
さまざまな可能性を持っている一人の人間が、ひとつの器官だけを激しく使う労働に囲いこまれ、人為的に未発達な人間にされてしまう。(中略)工程を細分化し再構成した合理化は、人間の能力を細分化させ、人格さえ企業に都合のいいように再構成する。それはロボトミーの手術にも匹敵する。(p121 12行目以降)
工場の門をくぐる時、守衛に身分証明書を見せる時、その時から自分は、もはや番号だけの存在になる。それは自分の魂と自分の頭脳を、まるで外套を預けるように預けてしまうようなものだ。そして門を出る時、一〇時間か、一二時間ぶりかで、ようやく<自分>を返してもらい、それを着てやっと自分の表情と威厳を取り戻し、家路を辿るのである。(p148 4行目以降)
機械が人間のマネをしているのではなく、人間が機械の代りを務めているのだった。そして生産競争。かれの打ちのめされ、粉々になってしまったプライド。そういえば、人間尊重を謳うトヨタのPR映画には人間は登場しなかった。出て来たのは車と機械だけだった。(p243 9行目以降)
(以上、鎌田慧『自動車絶望工場』より引用)