嘘だと言ってくれ

『僕らが働く理由、働かない理由、働けない理由』(稲泉連・著、文芸春秋)を読んだんだけど、登場する誰もがみな自分の分身に見えてきて、憂鬱になった。なぜ憂鬱になったかと言えば、この本を読んだことによって「俺がダメな人間で会社に行きたくないのは俺自身のせいなのであって、他人はもっと楽しく世の中を生きているはずだ。だから、俺は、俺が頑張れば、精一杯頑張れば、きっと世の中のみんなのようにダメじゃなくなるし、もっと楽しく生きていけるのだ。」という理屈が自分のなかで音を立てて崩れ去ってしまったからだ。俺だけじゃなく、みなが俺と同じようなことを思いながら生きているのだとしたら、俺は、いったい俺は何を目標に生きていけばよいのだろうか。いや、そもそも生きていくのに目標など必要ないのか? そうなのか。どうなのだろう?

確かに俺はいい人生を歩いているように見えるのかもしれない。でもね、挫折は結構してるよ。むしろ、俺は望み叶わずばっかりで人生きたと思ってるからさ。できるだけ人生は冗談だと思うようにしている。根がまじめだからなかなか冗談にはできないんだけど、悪いことがあっても、まぁ、ギャグと思って済ますかって。ユーモアで誤魔化そうとか、笑い飛ばそうとかね。
いい会社に入ることが幸福だとは思わないよ。勉強してきて、大学に入って、一流企業に入れたってことをよかったとは全然思ってない。もっと楽しい人生もあったんじゃないのかな、って思うよ
」(書籍版15頁15行目から引用)

みんなは何を頼りに生きてるのかなって。これがすごく楽しいとか、あれがあるから生きてるとか、そういうのがすごい気になってて、いろんな人に聞きたいんだよね。あまり親しくない人には聞けないけど、<そういえば俺もそういうのはないな、みんなはどうなんだろう>っていう人もいれば、芸術家のような人もいた。でも、確かにわからないでもないんだけど、そのことが楽しいだけで生きていけるのかな、っていうことに関して納得できたことはないな。でも聞いてるうちに答えが見つかるかなって思う。それがあったらもっと楽しく生きていけるんじゃないかな、って思うから。いまは楽しくないから、生きてることが」(書籍版35頁15行目から引用)

プロローグと第一章に登場する2人の言葉が特に俺をえぐる。人生は冗談だと思うようにしているだとか、生きてることが楽しくないだとか、そんなことを言わないでくれ、と思う。頼むから、どうか、お願いだから、嘘だと言ってほしいと、そう思うけれど、でも、現実って結局そんなものなんだろうと諦めている自分が自分の中にいることを俺は知っている。

僕らが働く理由、働かない理由、働けない理由 (文春文庫)

僕らが働く理由、働かない理由、働けない理由 (文春文庫)