原子力発電所と定規のはなし
早朝からもそもそと起き出して部屋の掃除。引っ越して以来、本を増やさないようにしようと思っていたのにもかかわらず、結局増えてしまって部屋に積んであったため、3段のカラーボックスを買ってきたのだが、すぐに埋まってしまった。というか、全部入りきってない。やはり一部は処分するしかなさそうだ。本を処分するのって悲しいから嫌なんだけど、仕方がない。
昼ごろから外出。行きがけに新川のデリーに立ち寄り朝食兼昼食をとる。カシミールカレー。とても美味しい。これまでデリーで食べたカレー(デリーカレー、インドカレー、コルマカレーそして今回のカシミールカレー)の中ではこれが一番好きかも。辛いと書かかれていたので若干不安だったんだけれども、そんなでもなかった。学生時代によく行ったメーヤウのチキンカレーの方が辛いように思う。とか書いているとさっそくメーヤウに行きたくなってきてしまったので、近々数年ぶりに行ってみよう。注文を、ポークにするかチキンするかが悩みどころだ。
その後上野の東京都美術館へ。トリノ・エジプト展を観に行ったのだけれども、ちょっと待たないとだめそうな感じ。できればゆっくりと観たいので、今度有休でもとって来ることにして、国立科学博物館に行くことにした。シカン展はちょっと前に行ったので、常設展に行った。ここの常設展は恐竜から宇宙までバラエティに富んでいて、なかなか面白いのでよい。今日は、やっぱ恐竜っていいよなー、って思った。帰りがけに博物館内のショップによって、適当に物色していたところ、写真の定規を見つけ「おお、こ、これは……」と一人で感動し、それだけ買って家に帰った。角度を変えると映ってる絵が変わるという定規で、太陽系の惑星の大きさと、太陽からの各惑星までの距離がわかるというものである。ある意味、博物館なんかにはありがちなアイテムなのかもしれないが、なぜ僕がこれに感動したかというと、それは15年以上前の(もう15年も前なのか!)、ある出来事に由来する。
僕にとって、小学生の頃の旅行といえば、父方か母方の生家に行くことを意味していた。小学生の頃のある年の夏休み、いつものように、僕、母そして妹の3人で母方の実家に行った。父が行かなかったのは、別に仲がよくないとか、そういうことではない。単純に仕事が忙しすぎて行けなかったというだけである(今もだが、父は少なくとも現在の僕の倍以上の時間、働いている)。まあそれはさておき、母方の実家に行ってすることといえば、基本的に海水浴くらいのもので、それ以外には特にすることもなく、毎日海水浴に行ってはヘトヘトになり、午後から夕方にかけては昼寝をして、その後美味しい夕食を食べる、という日々を繰り返していた。今考えると実に羨ましい。そんな日々が退屈だと心配してくれたのか、ある日、従姉妹のお母さんが、車で2時間くらい行ったところにある原子力発電所に連れて行ってくれる、ということになった。その当時、スーファミのシムシティーの経験があった僕の中には「原子力発電所=公害もなく、電力供給範囲広い(火力発電所との比較)=凄い」という方程式が成り立っていたので、とても期待していた。行きの車の中ではたまの「さよなら人類」を熱唱していた記憶がある。なぜかピテカントロプスというワードに無性に興奮していたのも、今は昔だ。原子力発電所はとにかく大きかったのと、あとロボットがいて、すげー、と思ったことを覚えているが、それ以外はあまり覚えていない。で、帰りにおみやげとして定規をもらったのである。それは太陽系の惑星が並んだ定規で角度を変えると映る絵の変わる、まさに今回科博で購入した定規と同じような定規だったのだ。小学生の僕はその定規のあまりのカッコよさに感激して、もらった時点で、既に登校日に友達に自慢しようと考えていた。「すっげー、何その定規、超カッコいいじゃん!」という友達の言葉を想像して、心の中でにやけていた。ただ、そんな僕の心を神さまは許さなかったのだろうか、祖母の家から自宅へ帰るときに、最後に乗ったタクシーのトランクの中に、定規とビートバンを置き忘れてしまったのだ。帰宅後そのことに気付き、タクシー会社にも問い合わせをしたが、結局見つからず、結果、幻の定規となってしまったのだった……。
こんなこと、科博のショップで定規を見つけるまではすっかり忘れていたのに、定規を見た瞬間にすべてを思い出した。きっと、小学生のときの自分は相当無念だったんだろうなと思った。もし、タイムマシンがこの世の中にあるのならば、十数年前の自分に対して、十数年後には似たような定規が手に入るから大丈夫だよ、って言ってやりたい。