鏡姉妹の飛ぶ教室 佐藤友哉

鏡姉妹の飛ぶ教室 (講談社ノベルス)
昨日書いたものは、酔っ払っていたとはいえ痛いなあでもまあいいや、とか思ってたんですけど、今日佐藤友哉鏡姉妹の飛ぶ教室」を読んで、あんなもんじゃまだまだ甘い、ということを痛感させられました。
ユヤすげえ。蝶すげえ。
今作は今までのユヤタン本のようにメインキャラが一人いるというのとはちょっと違い、割と沢山の登場人物がスポットライトを浴びて舞台上に登場してきます。特に好きなキャラクターは、「どれだけ本気で生きるか、大事なのはそれだけだ」なんていう言葉を周りの人間に容赦なく突きつけていく徹底的人間強者説肯定派、赤荻宇沙里と、「その通りっ! 差別につぐ差別! 私は自分よりも下にいる存在を、自覚的に差別しますっ! 見下しますっ! 馬鹿にしますっ! 貶しますっ!」という今の日本でこんなこと言ったらパッシングされること間違いなしの思想を声高に叫ぶ生粋選民思想信奉者、金井妙子。
目つきが悪くて「修正してやろうか」とか言いながら村木にむかってモップをぶん投げる宇沙里たん萌えー。ギターのストラップによって強調された胸を押し付け縞々パンツをこれでもかと見せびらかしながら宇沙里たんのふくらはぎの傷を舐めようとする妙子たんハァハァ。百合万歳。
とか、別にそういうわけじゃないわけでもないというかむしろそうじゃないというかいやきっとそうに違いない。
そんなことはまあ置いといて、僕が本を読みながら期待していたことは、この2人萌えキャラの、人間というものに対するスタンスの決定的な違いによる対立をどこまでユヤタンがうまく書いてくれるのか、そしてそれをどのように結論付けるのか、あるいは結論なんて出なくてもどういう方向に持って行こうとするのか、というところ。
で、江崎を追いかけながらの2人の邂逅そしてバトルはキター!待ってましたー!という感じで期待に胸を躍らせながら見守っていたのですが、突如妙子たんが「はうはうはうはう〜。宇沙里ちゃん激萌え。うひゅひゅひゅひゅー」などと言い出してそこで2人のバトル終了。
え。うそ。マジっすか。
うおーい、もっとぐちゃぐちゃにしていこうよ!どうしようもないところへ追い込んでいこうよ!痛い思考を思考する思考を創っていこうよ!エナメルとか水没ピアノみたいにさ!
などと感じ、あーあ残念、と思ってたんですけど、最後まで読むとラストの稜子の台詞に答えが提示されていた。祁答院浩之の変化にその例を見るのがわかりやすいかもしれない。
浩之は最初はどちらかというと宇沙里に近い考えを持っている。それは第一理科室での妙子との会話から分かる。「強い人間弱い人間なんてなくて、人間は誰もがみな弱い」というような発言をしている。だけど浩之は妙子の思想に基づいて言えば圧倒的に「強い人間」であって、なんとなく発言が上滑りしているような印象を僕は受ける。強い人間のもつ余裕のようなものが窺える気がするからだ。それは江崎との闘いの随所にも見ることができる。
そして、双子の姉による完全な拒絶や兵藤とのバトルを経た浩之は、クライマックスで「僕はこれからは本気で生きるよ」と言った。それは強い人間である浩之が「飛んだ」瞬間。浩之は飛べた。生き残った。
「飛ぶ……つまり自分が最初立っていた場所よりも、一歩分だけでも良いから上に行くこと」と稜子は言う。そして彼女は次のように続ける。「がんばったって、本気出したって、飛べなきゃ話にならないわよ。私はプロセスなんかに興味ないわ。努力しようがしまいが知ったことじゃないし関係もない」
なるほど。人間が強いとか弱いとか本気だとか本気でないだとか、そんなことは結局どうでもいいということ。飛べるか飛べないか。それが全て。浩之や村木が「飛んだ」ことを上手く表現しているこの作品においてこの結論は確かに説得力がある。納得もできる。
でも。
宇沙里と妙子という両極端の考えをもった2人をせっかく登場させたのだから、その人間というものに対する考えをもっと煮詰めに煮詰めてからこの結論を出して欲しかった、と僕は思う。稜子に「私はプロセスなんかに興味ないわ」などと語らせてその辺を誤魔化さないでほしいと感じる。エナメルや水没ピアノを書いたユヤタンならもっと書けると確信しているからだ。
というわけで、間違いなく面白かったけど、その一点だけがちょっと不満。だけどやっぱユヤタン作品はかなり好きなことがこの本を読んで確定。エナメル、水没ピアノ、クリテロ、飛ぶ教室とこれだけのものを続けて(といっても期間は空いてるけど)出していけるってのは本当に凄い。これからもユヤタンファンで行こう!
ユヤマンセー



あ、ちなみに今作でもっとも爆笑したのは浩之の「<不運>(ハードラック)と<踊>(ダンス)っちまった」という部分。ここでブッタク使うのかよっ!鰐淵さんかよっ!絶対ただこの台詞使いたかっただけだよ。面白すぎる。