ポジティブシンキングなんて出来ないけど

授業を休みまくっている。今週はほとんど授業出ていない。ネットもあまりやる気がしない。これはやばい。でもどうしようもないのでずっと家にいた、というわけでもなくて昨日はサークルだけ一応行った。あと半年は何とか頑張って続けようと思った。今日はサークルの先輩と秋葉原へ行った。なんか話さなくてもいいようなことを無駄に話したような気がする。内容はここでは語りませんが、自己嫌悪。酒も飲んでないのにさあ。何なんだろうか僕は。鬱々。で、こうやって鬱という言葉を使ってしまうと鬱っていう言葉を使って逃げてるんだろ、とか勝手に思ってまた鬱になる。繰り返し。でも、いい加減ぐるぐるを断ち切らないと本当に駄目だろうと思う。どう転ぼうとも自分で決断しないといけない。
今日久しぶりに数少ない語学の友人にあった。彼は優秀なのでローの飛び級試験を受けるそうである。流石!そうやって2年間で色々なことを身に付けてる人間もいれば僕のように何も身に付けてない人間もいるわけです。何なんだろうねこの差は。
今日このブログを見て下さったある方からメールを頂いて、その返信を書いていたときに気づいたことなんだけれど、僕が悩んでいる原因として「法律を捨て切れてない」ということがあるように思う。はっきりいって「法律は面白そうだ」と今でも思っている部分が正直ある。だから「そんな面白そうな法律に適応出来ないのは自分の不勉強が原因だ!」として自分を責める、という(まあ実際そうなのかもしれないけど)。ここ2年くらいはずっとそれの繰り返しだった。でも、最近は「適応できないものも世の中にはあるさ」と考えるようにし始めている。そうしないともう自己批判のストレスで体も精神もボロボロになってしまうので。流石に法律と心中する気はないですから。焦らないでゆっくり生きればいいと思う。でもスローライフとかそういう言葉は嫌い。なんか気取ってない振りをしてめちゃくちゃ気取ってるような印象を受けるので。無駄にカッコつけんじゃねえよ。いや、カッコつけるのもそれはそれで大事なんだけどさ。って、何だそれ。首尾一貫した意見を述べろよ、って感じですね。でも、色々矛盾する意見がごちゃ混ぜになって存在していることってそんなにおかしいことなんだろうか。やたら論理論理と主張する人とかいるけど、そういうのってあまり説得力持たないように僕は思う(もちろん場合にはよりますよ)。あらゆることを理詰めで考えてしまう人間に対して凄いとは思うけれど尊敬はしない。理性を越えた感情とかそういうものに感動したりするんじゃないかなと思う。僕は。あくまでも「僕は」。他の人は知りません。
サークルの後輩にちょっと前から好きな子が出来たらしく、ひたすら愛とか恋とか言っていてマジうぜーって感じなのだけど、それまで鬱々としていた彼が明るくなっているのでまあいいのかなと思う。それで僕も愛や恋を知れば楽しくなるのかと思って図書館でプラトンのパイドロスを借りてきて読んでみた。余計わけがわからなくなった。
明日は停電するそうなので嫌でも学校に行かざるをえません。停電してたら本も読めないしゲームも出来ない。ああ、それにしても早くミンストレルソングを買いたい。