雨のち、晴れ?

雨が降ると思って僕が傘を持っていった日に限って雨は降らず、雨が降らないと思って傘を持っていかないと雨が降る。古きよきマーフィーの法則ですか? ちなみに今日は前者でした。雨の降っていない日の傘ほど邪魔なものはないと思う。歩いているときも授業受けてるときも電車乗ってるときもとにかくウザったくて仕様がない。特に今日邪魔だと感じた瞬間は電車内で椅子に座ったとき。一番端の席ならばあの銀色の手すりにかけてしまえば安心なわけですが、真ん中あたりに座ってしまうとそうもいかない。電車内で席に座れたときというのは、僕にとって最高の読書空間のうちの一つを獲得した瞬間なのですが、傘を持っていると傘が邪魔になって本が読みづらい。傘の先端を靴で挟み、そのまま傘を抱きかかえるような感じで本を読むんですが、目の前に傘の柄がちらついてどうにも集中できない。で、結局本を読む気が失せてしまうという。こういう場合に何か対策法はないもんだろうか。「いや、別にそんなときに本読まなきゃいいだけじゃん」とか思う人もいるかもしれないが、それは人類の文明の歴史を否定するような発言である。こういうふとしたさり気ない疑問の解決の積み重ねによって人間は進歩してきたのです。だからそれを否定することは文明の恩恵を享受している今の自分達の存在をも否定してしまうことになるわけで、あまりよろしくない。っつーか、こんなこと僕のような無気力バカ人間の言うセリフではないですね。お前が一番それを自覚しろよ、みたいな。反省。
今年の5月病は長い。去年も5月頃と10〜11月頃に気持ちが沈んでいたような気がするけれど、ここまでひどくはなかったような気がする。何でだろう。バイトで疲れているからだろうか。あまり気分が乗らないときとか沈んでいるときに受けるアドバイスに「とりあえず動いてみろよ。そしたらそのうち気分も晴れるよ」などというものがあったりするけれど、それはきっと間違っている、というかどうやら少なくとも僕には当てはまらない、ということが最近分かった。僕が沈んでいるときというのは、大抵無駄に忙しくしているときが多いからだ。余裕があるときは色々なことは考えるけどあまりマイナス方向には向かっていないように思う。多分時間のあるときというのは色々なことを考えられるので、マイナス方向に思考が向かおうとしてもそれを打ち消そうとする考えも浮かんでくるから、それで精神の安定が保たれているのだろう。だけどあまり時間がないときは、マイナスの面だけ考えてしまい(基本的に僕は物事をまず否定的に捉える癖があります。これはもう身に染み付いてしまっているのでどうしようもない)、そこで時間的制限から考えることを中断せざるを得なくなる。それで結局そのマイナス思考だけが自分の中に残ってしまい、ぐるぐると螺旋を描くようにして僕を縛り付けていくのではないだろうか。この考えがどうも今の状態にしっくりくるような気がする。だから、僕はもっと自分のための時間を持たないといけない。
まあ、こうやってバイト面倒だしダルイ、という言い訳をつらつらとしてみました。時間を持たないといけない、って言ったってお金がなくても生きていけないんだよ!欲しいものは沢山あるしサークルにだって金がかかるんだよ!っていうかサークルに金がかかりすぎる。そんな金もうないよ。あと半年くらいの辛抱だ、本当。そうしたらやっとバイト代を自分の好きなことに使える。……サークルって自分の好きなことやるための場じゃなかったっけ?アレ?