文字は体を表す?

何かを考える、ということは、言語を用いて行われる。そして言語によって思考されたものを自分の外に向けて表現しようとするときには、音声と文字が使用される。誰でも他人の声を聞いてみればすぐにわかることだけれども、人間はみなそれぞれ独特の声を有しており、それを分析したものは声紋と呼ばれ、それは人によって異なるため、犯罪捜査において利用されているそうである。これはつまり声という音声には個性というものがあるということだ。一方、人間の用いる文字にも個性というものがある。四角い字、丸い字、尖った字に穿った字など、人の書く字は様々多種多様であり、そのバリエーションは人の数だけある、と言っても言いすぎではないだろう。だが、この声の個性と文字の個性には若干の違いがあるように思われる。どこが違うかといえば、声の個性というものは、本人の性別、年齢、身長、骨格等、生物学的な特徴によってそれが決定されるが、文字というものはそうではない、という点である。手の形によって文字が決定されるわけではない、と思う。多分。だとすると、文字を個性的にさせているものとは一体何なのだろうか。
そんなことを考えながら適当にぐぐっていると、発掘!あるある大事典2 第31回『筆跡でわかる!本当の自分』というサイトを発見した。なんと世の中には筆跡心理学というものがあるそうだ。知らなかった。文字には性格が表れるそうで、フランス筆跡心理学協会会長のペロニク・ヴィルヌープさんによると「フランスでは80%以上の企業が、筆跡を採用や人事の参考にしています。」だそうである。本当かよ?もし本当だとしたら大丈夫かよフランス企業?と思わずにはいられないが、面白いので本当だといいなあと思う。ちょっとフランスが好きになった。さて、このサイトを続けて見ていくと、なんと「大口預金の京子さんは仏様」という文字を書くだけで僕の深層心理が丸裸にされてしまうそうなので、露出狂の僕は(もちろん嘘ですよ)早速やってみることにした。結果、僕は「ねばり強く、社長タイプであり、目立ちたがりでも目立ちたがりではないわけでもなく、心はおそらく20代程度であり、几帳面でそこそこ包容力がある」らしい。凄い!本当にたった12文字で僕という人間が真っ裸にされてしまった!恐ろしき哉、筆跡心理学。ははは。
とても面白かったので筆跡心理学を信じることにする。そうすると文字を個性的にさせているものは性格だということになる。人の手によって書かれた文字には性格という情報も含まれているのだ。ということは他人の文字を絶えず見続ける行為というのは、様々な人間の性格と触れ合うこととほぼ同じであると言えるのではないだろうか。大抵の場合そうだと思うのだけれども、いや、やっぱり他人についてはわからないが、少なくとも僕はそうなのだけれども、他人と触れ合う行為というのは、そこに親愛的感情が生じていない場合、プレッシャーとなる。だから見ず知らずの他人の書いた文字を沢山読み続けるという行為は、他人と触れ合う行為とつながるのであって、それは過度のプレッシャーを生じさせるのである。プレッシャーを感じたとき、人はどのような対応をするか、それを跳ね除けようとする力強い人間もいるかもしれないが、ダメな人間である僕だったらまずそこからの逃げ道を探す。この場合なら、文字を読み続けることによってプレッシャーを感じているのだから、文字を読まなければよいのである。文字を読まないためにはどうすればよいか、簡単だ、目を瞑ればいい。目を瞑ったらどうすればよいか、って、目を瞑ったらやることは決まっているだろう、そう、寝ればいいのである。
そういうわけで、他人によって書かれた文字の表層に表れるその人物の性格に触れ続けることによるプレッシャーからの逃避行為の結果として、僕はバイト中に眠くなるのである、ということが判明した。まあ、判明したからといって、別段何かが変わるというわけでもないんだけれども。