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考えすぎる僕ら

先日の徹夜麻雀明けの朝、マックでだらだらしていたとき、友人が、就職先の内定者飲みで失態を犯し、そのことについて謝罪メールを送ることについて逡巡している、という話をしだした。その飲みはいつあったのか、と聞いてみると3日前とのこと。そんなの今送っても今更だし、別に送らなくていいんじゃないの?と言うと、いやでも送りたいんだよね、と言う。じゃあ送ればいいじゃない、って感じなのだが、文体をどうするかで悩んでいるらしい。敬語すぎると距離を置かれてしまうかもしれないし、逆にくだけた文体すぎると「なんでコイツこんなに馴れ馴れしいの?きめぇ」みたいに思われるんじゃないか、そう思ってなかなか出せずにいるそうだ。彼はその他にも色々と悩みまくっており、それを聞くと、もはや想像を超えて妄想のレベルに至っている。あきらかに考えすぎである。メールを出すなら出すでそんなもの適当にちゃっちゃと出してしまえばいいのだ。僕だったら別にそんなもの出さないで、会った時にでも軽く謝ればそれでいいや、と考える。
しかし、考えてみれば僕もかなり考えすぎのところがあることは否めない。例えば目下の僕の悩みは、「入社後研修でバス移動があるが、その間にトイレに行きたくなったらどうしよう」である。自分で書いていてもしょうもない悩みである。しかし幾度となく腹を壊している自分としてはこんなことでも大きな問題であったりする。その他、例えば「道に立っているポールとポールの間を自転車で通り抜けるときにそのポール間にピアノ線が張られていたらどうしよう(銀狼怪奇ファイル第一話の影響)」とか「建物の外に出る(あるいは入る)ときに、上から物(あるいは人)が降ってきたらどうしよう(上から飛び降りた人とぶつかって下にいた人が死んでしまった、という話を幼少の頃に聞いたことが影響)」なんてことは常日頃そのようなシチュエーションになるたびに考えている。そのせいで建物に入るときなんか、「上から誰かが俺の頭を目掛けてものを落としてくるかもしれない。だが、そうはさせない!」などと頭の中で思いつつ、蛇行しながら建物の中に入ったりする。もはや被害妄想満開である。
このようなめったにありもしないようなことに怯えたり、どうしようもないことに悩んだりすることって病気なのかしら、と不安になったりする人が、もしかすると僕や僕の友人の他にもいるかもしれない。そういう人にぜひ、『カラスヤサトシ』を読んでもらいたいな、と思う。『カラスヤサトシ』はそんな漫画です。読むと、きっと少しだけ幸せになれます。多分。多分ね。

カラスヤサトシ (アフタヌーンKC)

カラスヤサトシ (アフタヌーンKC)