9回ツーアウトでバッター自分なんて場面はそう簡単には訪れないから

朝パソコンを立ち上げるとドイツに留学している先輩がオンラインだったのでメッセで30分ほど会話。こうやって日本ドイツ間で会話したりすると改めてネットすげー、とか思います。
たまには流行りの曲の知識でも得ておくかと思い、久しぶりにシングルを数枚借りてきました。例えば木村カエラとかね。で、ザッと聴いてみたんですが、どれも別に普通、というか当たり障りのない音楽といった方がいいかもしれない。何で売れるのかな。
と、そんなことを書いてみて、何偉そうなことほざいているんだ自分は、と思った。いいところを挙げようとせず、すぐに大してよくない、ダメじゃん、とか言ってしまう態度はあまり、というか全く持ってカッコよくないし、それこそダメだろう。そもそも冒頭の「流行の曲の知識でも得ておくか」という態度が終わってる。この上からモノを見ているような態度。お前何様なんだ?って感じがする。
この間読んだ恋愛カタログの23巻で実果の友人である笹錦さんがなかなか気になる発言をしていた。この笹錦さんというのは、あまりモテない女の子として描かれているキャラクターなんですが、その笹錦さんが初めて知り合った春日さんという男性と何を話したらいいかわからないと悩んでいる場面での台詞。

…何をしゃべっていいのかわからないのよ。どう受け答えしていいのか。どんな話をすればいいのか。
(中略)
自分にガッカリよ。あたしが今まで一生けん命考えてきたのは痩せて周囲を見返す事と、これ以上バカにされない為に学校の勉強を頭につめこむこと。自分を受け入れない人達を逆に批判する事で自己を確立してきたのよ。
考えたら趣味の一つも持ってなかった。
カラッポなのよあたし。
永田正実恋愛カタログ』23巻より)

これを読んだとき、思わず「うむむ……」と唸ってしまった。なんというか、ここ最近自分が考えていることと重なる部分が多かったから。
僕自身、もともと全然カッコよくないのにもかかわらず、他人にカッコ悪いところを見せることを極端に恐れていて、なるべくボロを出さないように暮らしてきた部分があることを否定できない。ボロを出さないようにして、思っていることをあまり口に出して言わないようになった。でもその代わりにどうでもいいようなことをペラペラとよく喋るようになった気がする。『風の歌を聴け』(自分が読んだ春樹作品の中で2番目に好きな作品。1番は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』)の中で村上春樹が主人公に「自分の思っていることを半分しか喋らないようにした。数年後、自分が自分の思っていることの半分しか喋ることが出来なくなってしまっていることに気がついた」などと語らせているけど、自分も本当にそんな感じだと思う。
最近はそれじゃダメだ!とは思っていて、もっと思ったことを喋ろうとしているんだけど、そうしようとすると何故か言葉を噛んでしまうんですよね。それで噛んだことが自分の中ですごく恥ずかしくって結局「なんでもない」とか言って別の話題へ話を切り替えてしまう。それで自分の中に解消されないモヤモヤしたものが溜まっていく、という。フラストレーション。
学校の勉強だって全然好きじゃないのになんでやっていたかと考えてみれば、笹錦さんの言うとおり「周りにバカにされない為」かもしれない。周りの人にバカにされたことなんて一度もないのにね。でも、勉強ができなくなったら馬鹿にされる、と妄想してしまうんですよ。よくわかんないけど。ヲタクだから? そのへんが、僕が今行っている大学に満足できない理由の一つなんじゃないかな、とも思います。大した力もないくせにね。自分に力のないことくらい自分で分かってるわけですよ。そりゃあね。長年自分とつき合って来てるわけですから。
そうやって掴もうとすると煙のように指の隙間から逃げていってしまう自分を捕まえるために批判するわけです。軽く鼻で笑うような態度で斜に構えて物事を捉えて。綿谷りさ風に言えば「ハッ。っていうこのスタンス」という感じでしょうか。何も考えずにただ批判することというのは自分の意見を述べているような錯覚に落ちやすい。しかも楽だという。本当に自分の考えを持つということはとても大変なことですからね。でもそんな自分の意見に基づかない批判というのは当然のように砂上の楼閣に過ぎなくて、どんどん積み上げていったってどんどん下から消えていってしまう。後には何も残らない。村上春樹の「ワンアウト一塁ダブルプレー。何も残りゃしない」ってやつです。
ああ、引用していて思い出したんですが、最近過去の作品を引用したり模倣したり下敷きにしたりしている小説が多いとか聞くじゃないですか。特にファウストで、ですけど。舞城とか佐藤友哉とか西尾維新とか。サリンジャー・チルドレンだっけ?よく知りませんが。何でそうやって引用したりするのか、と尋ねれば、その(過去の)作品に感動したからだ、とか多分答えるんでしょうけど、もしかしたらただ「俺はこんなに本読んでるんだぜ、漫画やゲーム知ってるんだぜ、凄くねー?」みたいな感じだったりすることはないのでしょうか。いや、何でそう思うかというと、特に西尾維新の本を読んでいて感じるんですが、物語が完全に言葉遊びにしか見て取れないんですよね。なんか一見すると深遠なことを言っているように見えても、全然心に響いてこない。薄っぺらい。言葉遊びにしか感じられない。まあ西尾維新は以前どこかで読んだ対談の中で自分のことを「自分は料理人だ」と言っていたので、そのことに自覚的なのかもしれません。自分というものをなくしてしまって(初めから自分というものがないのかもしれないけどそれは知らない)小説というエンターテイメントを方法論に則って作り上げてしまう。そうだとしたら西尾維新は真の意味でプロだなあ、と思います。読んでいて面白いとは思うけど西尾維新はもう別に読まなくてもいいかな、と僕が思うのはそのへんに原因があるのかもしれない。僕のように自分探しをしている人間にとっては西尾維新の小説は何も教えてくれないように思う。一時の気休めにはなるんだけどね。
話がずれてしまっている。閑話休題
何を言いたかったのかすっかり分からなくなってしまったけど、無理やりまとめてみると「流行の音楽いや音楽だけじゃなくてファッションとかそういう諸々のものに興味を持つようになりたい」ということだと思います。全然まとまってないし絶対違えー。でも、もっと学校でそういうことを教えてくれ。小学校で英語を教える前にさ。だからきっとデカイ鞄を背負って左右に広がって道を塞ぎながら楽しそうに歩いていくテニサーの男女のグループとかが目の前のいると、ああウゼエ邪魔だよ云々、とすぐ僕がイライラしてしまうのは、そういう普通に楽しそうな場所に行きたいという感情の裏返しなのだろうと思います。ルサンチマンだねルサンチマン。ああもうちくしょう。自分探しから早く卒業したいものです。残念ながらまだ卒業式の日取りは決まってませんけど。
更新しようとした朝10時くらいに突然停電があって、寝ていた妹に尋ねたところ、12時まで電気復旧しないとのこと。すわっ!マジかー。ありえんて。しかも風呂入ってから行こうと思っていたので外にも出れないし。仕方ないので外の光で漫画読んでました。ササメケ全5巻再読。やっぱ面白い。この作者の人はすげえ葛藤とかしててそれを経た後でこの漫画を描いてそうな感じがする。そしてそれを笑いにまで昇華させてしまえるのが凄い。ササメケ本編はもちろん秀逸だと思うのだけど、巻末のオマケ漫画がさらによい。最高。
それにしても電気は大切だ。デンコちゃんの言葉が身にしみて分かりました。電気なかったら本当に生きていけないよ……