彼の死

驚いた。何に驚いたかって、ある知り合いが数ヶ月前に既に亡くなっていた、ということについてである。一緒に何度か食事をしたことはあるけれど、そこまで親しいわけでもないので、悲しい、ではなくて、驚きの感情が先行した。昨年秋頃から彼の姿を授業で全く見かけなくなっていたが、まさか亡くなってしまっていたとは……。昨年の様子からは体を悪くしているようには見えなかったので、おそらく事故か何かなんだろうと思うが、もしかしたら違うかもしれない。それはわからない。僕に彼の死について教えてくれた人も、そのことについては知らされていない、とのことであった。
このことを知るまでは、彼が授業に全然来てなくても、「あー、この授業切ったんだろうな」としか思っていなかった。僕の中では彼は「生きていることになってい」た。しかし実際には、彼はもうそのとき死んでしまっていたのである。この数ヶ月間は、そんな風に現実との食い違いが生じていたわけであるが、彼の死を僕が今知ったことで、彼の死が僕の過去の中で遡及的に有効になる、ということにでもなるのだろうか。これは、何とも不思議な感覚である。また、もし彼が亡くなったことをずっと知らされていなかったとしたら、僕の中で彼はずっと「死んでいないことにな」っていただろう。これもまた不思議なことだ。
昨年のちょうど今くらいの時期に祖父が亡くなったときも色々なことを考えたが、今回も彼の死を知ってからこの数日ほど漠然と様々なことを考えていた。スーパードライを飲みながら、モニターの前に座ってぼんやりと考えていた。「人間、年齢に関係なく、死ぬときは死ぬんだな」このことを一番実感したかもしれない。だからといって、毎日を全力で精一杯生きようぜ!とか、そんなことは別に思わないが、死ぬときは死ぬんだから、まあ毎日普通に楽しく自分の思うままに生きていきたいね、と思う。自分が死ぬときは、他人が死ぬんじゃなくて、自分が死ぬんだから。